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曖昧模糊には花束を

実は隠れファン気質を持つ自分はこっそりひっそりと気になった人を追いかける癖があります。

コメントもしない
いいねもしない(..したかも)

ただただ傍観するだけです。

ブログとか日記って、体力がいるんですよね。心の中との雑談である一方で、体裁としてはインターネットという火の中水の中に載せるわけですから、まあ普通に勇気はいるわけです。

根気も必要です。要するに継続力です。かつて毎日投稿し続けたヒカキンがその鏡ですが、毎日でなくても、定期的に顔を出せるかどうかって、精神的な体力勝負なところもあると思うんです。

話がそれましたが、自分はアイドルとかの下剋上ストーリーとか嫌いではないし、なんならチェ・ゲバラの伝記だって書棚に置いてありますが、

それよりも、身近に潜んでる普通の人間のもがき、生への執着的な、醜くくて生々しい声に意識がのめり込むタイプです。

そんな醜くも懸命に生きる人の日記が僕は楽しみで仕方がないです。とくに通知設定もしてませんが、たまに開けた時に更新されていると、薄ら笑いを浮かべて隣の人に気持ち悪がられるのです。

一喜一憂、喜怒哀楽の中で生きるその人の、感情という大海に自分も同化して、同じように喜び、悲しみ、尊ぶわけです。

誰が見るねんってレベルの古臭いモダンデザインに型取られた古式めかしいとある大学教授が運営するWebサイトにある日記がありまして、

それはそれは、どこそこに行って楽しかったとか、占いで結婚できないと言われただとか、まだジャパネットを見ていたほうがタメになると思うくらい本当にどうでもいいことが書いてある日記

それなのに健気にNo.386まで更新されているマメな日記のナンバーをランダムにポチって、特筆する感情もなくただ無心で眺めるんです。

それで今はどうしてるんだろうとプルダウンで最終投稿日を見てみると、もう15年も前の日付が書かれていました。

無性に続きが気になって、調べるとまだ大学で教鞭をとられているとのことだったので、メールで「続きが気になります。結婚はできたのでしょうか」と、実際にはもう少し丁寧で温かみのある文章で送信しましたが、おそらく迷惑メールの藻屑と化したのでしょう。返事は来ませんでした。

誰でもない普通の日記、何億と溢れる有象無象のその文章が、意外にも誰かの心に届くことも、あるわけですよね。

たとえそれが15年後だとしても。





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