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高瀬隼子『いい子のあくび』と日本社会の規範
最近、高瀬さんの『いい子のあくび』を読んだ。すごく面白かった。表題作が好きだった。
久しぶりに「これみんなどんなふうに読んでいるんだろう」と他人の感想が気になって、amazonレビューとか読書メーターとか読み漁ってしまった。笑 これ読んだ方はみんな三宅に感想をご一報ください。
『いい子のあくび』は、主人公のいるふたつの居場所から物語が始まる。ひとつは職場、ひとつはプライベート。職場でもプライベートでも主人公はできるだけ周囲に求められた役割や規範に沿おうとする「いい子」である。しかし、主人公が「いい子」から外れたくなる場がある。
それは公共の場である。たとえばスマホを見ながら自転車をこぐ中学生がいる道路。ぶつかりおじさんのいる駅。知らない人の口臭がかかる位置にいなくてはいけない満員電車。――主人公はとにかくこの公共空間が嫌いで、なぜなら他人が周囲に求められる役割をちょっとずつ逸脱して身勝手にふるまうからである。名前もわからない、匿名性の高い公共空間では、皆少しずつ身勝手になる。そしてそれに嫌気がさした主人公もまた、公共空間で「いい子」であることをやめようとする。それが冒頭の「ぶつかったる」という言葉で表現され、物語は始まる。
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