サッカーにおける「言語化」とは


サッカーをガクモンしよう!という最近の風潮(?)への違和感


まずはじめに。
私個人としては、目の前で繰り広げられているサッカーを戦術的に誰かと語り合うのも、選手や指導者、識者がそれを語っているのを見る(読む)のも、ひとり考えに耽るのもとても好きです。
その上で、本稿をつらつらと書き綴っている旨、ご理解の上ご一読いただけると幸いです。

私は鹿島アントラーズと京都サンガF.C.の兼任サポなのですが、X(旧Twitter)のTLを見るといずれのクラスタでもサッカーをガクモンして言語化して、原理原則に従順で理にかなったフットボールがピッチ上で展開されることを求める人の多いこと多いこと。
もしくは、そんな人の声の大きいこと大きいこと。

この流れにずっと違和感があるというか引っ掛かりを感じていたのですが、少し頭の中が整理されてきたので、文章化することでもう少し整理を進めてみようと思います。

「サッカーの言語化」はレシピ本みたいなもの


「サッカーには原理原則があり、それを守り遂行することで正しい選択ができる」
…間違ってはいないと思います。

でもそれと同時に、「原理原則だけで勝てるほどサッカーは単純じゃない」とも感じざるを得ません。

最近私が視聴した、島川俊郎さんのYouTubeチャンネルでの三竿雄斗選手との対談で、三竿選手が「片野坂監督がサッカーの原理原則を教えてくれた」、「それまで(ヴェルディユース、早稲田大学、チョウさん政権のベルマーレ、鹿島アントラーズ)は本能的にサッカーをするチームだった」といった発言をされていたかと思います。

単純にその言葉をそのままに受け取ると、「片野坂さんこそ至高、他の指導者たちはダメだった」となりかねません。

だって、他の指導者たちは原理原則すら教えてくれなかったんだから。

でも物事はそう簡単ではない。

なぜなら、サッカーは「理路整然としたフットボールをピッチで見せたら勝ち」ではないから。

事実、J3から這い上がりながら、片野坂さんの元で長年原理原則を学び戦術的に洗練されたかつての片野坂体制の大分トリニータは、J3リーグ以外のタイトルを取ることなく今日に至っています。

また、そんな片野坂さんは、資金力があり選手の質も高いガンバ大阪を率いた際も、24試合で22しか勝点を積み上げられず(1試合あたり勝点が1を下回る≒降格危険水域)、解任の憂き目に遭っています。

なぜなのか。

考えを巡らせているうちに、「サッカーにおいては、原理原則を守ったりサッカーを言語化するって、レシピ本みたいやな」と思い至りました。

たしかに、サッカーにも原理原則はある。
チームとしての決まり事も、多かれ少なかれどこのクラブにもあることでしょう

でもね。
サッカーにおいて「同じシーン」は起こり得ないのよ。

例えば野球なら相手の守備の陣形はおおよそ決まっていて、ランナーは1〜3塁を順に回らないと得点にならない。

サッカーは相手の守備陣形も動きもその時によって違うし、右から攻めても左から攻めても中央突破しても、なんなら全ての段階をすっ飛ばしてGKがロングキックしたボールが伸びて相手GKの頭上を越して入っても、一点は一点。

そこまで極端な例でなくても、ピッチ上の22人の選手やベンチに控える選手の特性やコンディション、当日のレフェリー陣のジャッジの傾向、天気、気温、湿度、太陽の向き・高さ、ピッチコンディション、場合によっては観客数。

これら多くの不確定要素が重なった上で、「原理原則に則るのが1番の正解!」となるシーンは、ターン制の野球と比べても、「定石」なるものが存在する囲碁や将棋、オセロなんかと比べると遥かに少ない。
むしろ、定石通りに進まないことの方が圧倒的に多いんじゃないやろうか。

料理も同じで、レシピ本通りに作れば、そこそこ美味しい料理は作れます。
でも一流料理店の腕利きシェフは、当日の気候や仕入れた食材のコンディションによって調味料の分量や火加減、加熱の時間を変えて「その日のベストな味」を創り出す。
それが「その店の味」になる。他所では真似できない味ができる。

翻って、サッカー。

言語化至上主義を貫いた結果がどうなるか。
理路整然としたサッカーができあがることでしょう。
でもそれは裏を返せば「馬鹿正直で読みやすい」とも言える。
だって理屈に合ってるんやから。
相手が論理的思考ができる選手なら、読まれない方がおかしい、まである。

アントラーズ/サンガの課題(?)


アントラーズは「"鹿島らしさ"の言語化を鬼木さんに丸投げするな!」とか。
サンガは「チョウキジェは収支が合わないお気持ちプレスを強要して全くボールを大事にしない」とか。

まず前者。
「鹿島らしさって○○だよ」と鬼木さんなり中田浩二さんなりが言語化したとする。
・・・言語化したものだけが鹿島らしさなの?違うよね?
となるのは、どういう風に言語化しても必至。

それでもどうしても言語化すると言うのであれば。

「全ては勝利のために」
もしくは、「献身・誠実・尊重」

改めて言語化なんてしなくても、とっくの昔に言語化されてるのよ。

その先の話は、どのルートで山を登るかという話。
移籍が少なかった頃のように選手の質で圧倒するのも一手。
3連覇の頃のように堅い守備をベースに、スピードと献身性を兼ね備えた2トップを軸にした鋭いカウンターを武器にする形でも。
ベテランとなった79年組+西大伍や遠藤康といった中堅がチームを引っ張り、前線で金崎夢生が暴れ、そこに若き頃の鈴木優磨が食らいついていくアンバランスなバランスの良さでも。
海外から帰ってきた鈴木優磨と、上田綺世と言うJ屈指の2トップを活かすために、シンプルにラフなボールでも彼らにボールを届けて火力を担保する形でも。

どんなサッカーを指向するか?
そんなもの、その時のメンバーを見て監督の引き出しの中からベストな形を作り上げていくこと。それしかない。
「鹿島はこういうサッカーをするんだ!」と標榜しても、その戦術を落とし込める監督が、それを実現できるクオリティを持った選手が揃わないと何も始まらない。
その様々な要素を無視して、どんな状況下でも「○○なのが鹿島だ!」と定義づけてしまうのは傲慢で乱暴以外の何でもないし、「どんなに戦力差があったとしても関係ない、鹿島は何をやってでも優勝しなければいけない」とクラブ全体で心の底から本気になっているからこそ今の鹿島があり、他チームの方からするとリスペクトされるチームたり得るのである。
決して、「うちのやり方はこうだから」とこだわるクラブではないのだ。
勝つためなら、昨日と真逆の戦術を取ることも厭わない。

サンガはどうだろうか。
チョウさんが作り上げるチームは良くも悪くもアグレッシブで、「理路整然」を好む方からすると向こう見ずで収支が合わないサッカーに映るだろう。
彼らの正義を基にするとその通りであるが、それだけが正解ではないのである。

特にサンガのような「挑戦者」である立場のクラブが、より大きな結果を手繰り寄せるためにリスクを負って前を向いていることは、それが最終的な結果に結び付かなかったとしても未来につながるように思える。
(反して、05年にJ2オールスターのような陣容で、オーソドックスでソリッドなサッカーでJ2を席捲した柱谷サンガが06年のJ1で全く通用せず大量失点を繰り返したことは私個人の記憶に深く刻まれている。「理路整然」同士がぶつかると、そりゃあ個の能力差が結果に直結するよね。今のサンガもそうじゃないの・・・??)

故に、理屈通りのサッカーを繰り広げて、理屈通り力負けして降格するぐらいなら、今のチョウさんのサッカーと心中する方を支持しています。

要するに

これまで述べてきたものが私の(古いと言われてもおかしくない)サッカー観です。

言語化できるサッカーほど陳腐なものはない。
具体的に言語化できるということは、相手にとっても明確で分かりやすいということでもあるんやから。
本来、言語化するべきなのは「繰り広げるサッカー」ではなく「個人戦術」であり、育成年代に求められていることである。

個人戦術さえ言語化して身につけさせてしまえば、監督がどんなサッカーを標榜してもやっていける。俗に言う「サッカーIQが高い選手」。
バルサがティキタカの文化を絶やさずに今日に至っているのは、スペインの育成環境で個人戦術が浸透していることと無関係ではないはずだ。

例えば、「出口を作らないとビルドアップできないじゃん」。
その通り。
じゃあ、どうやって出口を作るの?それを監督がシステマチックに決めればいいの?それが「監督による戦術の落とし込み」なの?

んな訳ねぇ。
ピッチ上に同じシチュエーションはまず起こらない以上、個人個人が判断していくしかない。ポジショナルプレーしても相手がそれを阻害してくることもあるだろうし、そうした時に二の矢三の矢をどうやって出すのか。
そこまで監督が仕込む?主力を何年も留めておけない今のJリーグで?

かつて、常勝だった頃の鹿島の選手たちはそこに強みがあった。
引いた相手にも焦れずに攻めてセットプレーで1点取って勝つ。
前から奪いにくる相手はいなして空いたスペースを突いて点を取る。
ビルドアップに不安のある相手には前線がプレス掛けて引っ掛けて点を取る。
「俺たちのサッカー」なんてクソ喰らえ。
当時の鹿島のサッカーを言語化するなら「臨機応変」。
これこそが最高に理にかなった、利益を最大化するサッカー。
(だからこそ、そんな鹿島とタイトルをほぼイーブンに分け合った当時の磐田はリスペクトに値する。彼らは彼らで大概臨機応変でしたが。)

なので。
推しクラブが「なんでこんなに理屈に合わないことしてるんだ」とか「なんでちゃんと戦術を整備しないんだろう」と悲観的になっている暇があったら、「今クラブは何を狙って何を目標にしてこの判断をしているんだ?」と考察して肯定できる材料を探していくことをオススメしたい。

我々にとってサッカーはエンタメの域を出ない、どこまで行っても楽しむ方が「理屈に合う」んですよ。
外野たる私たちが、必要以上にチームの完成度やら何やらに責任を感じる必要も、一喜一憂する必要すらないのです。

・・・こんなこと言ってますが、私も適宜文句は言うけどね!笑
ブレブレでいいじゃないですか。サッカー観戦はあくまで趣味なんやから!!

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