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解説・「三途の川の渡りかた」前編・中編

まずはじめに…。

この一連作は「死後の世界」があるという前提で描いています。

死んだあとの世界はどんな世界?どうやって行くの?というのはいろんな説があり、わたしは「本人の想念により成るところが大きいという説が正解なのでは」と考えています。

例えば「三途の川」は仏教の概念だから欧米人など一度もその話を聞いたことがない人の死後には現れない光景であるという説もあり、日本人の我々が三途の川を渡るとして、渡し船の運賃である「六文銭」を棺に入れてもらえなかったという理由で「自分は川を渡れない」と思い込む人もいるようです。
火葬の関係上今は紙製の六文銭なんですけどねえ。

じゃあ仮に自分が死んだとして…まずどういう行動を取るかなとか、お迎えに誰が来るかなとか、三途の川はどうやって渡るかな…などと仮想してみたのがこの作品です。


終活

人の寿命は誰にもわからない…だから毎日を大切に生きよう!というのはよく言われるコトですね。

まぁ、霊能者さんなら人の寿命が視える能力を持った人もいるようですが、寿命は視えても伝えない…というのがルールだそうです。

しかし末期がん等の病気で「余命宣告」をドクターに告げられるケース以外にも、まれにまったく病気は持ってないのに自分がいつ死ぬか自分でわかっていてそのとおりに亡くなる人もいるそうです。

もし焦げ猫がそうだったら…という仮定でこのお話は書いてます。

若い頃知ってたら行っていたであろうブルー・マーダーのライブに行った夢を見てて(笑)、目が覚めるときに謎の声が聞こえた…のはホントですが、「あと1年半」がなんのことだか確証は持てません。
どっちかというと前回のお話で実際に「いつ冠攣縮性心筋梗塞になるか…」と思ったから「毎日を後悔しないように生きよう」ってのが初めてわかった気がしてます。

で、PCを使って事務手続き的なことや遺族への希望を書く、「人のいいところを褒める」「感謝を言葉にする」ことなど実践しています。

「三途の川〜」中編より

死に際

「もう努力という努力はやり尽くしたから悔いはない」という人でも、いざ死にそうになると怖いと思います。

ましてや眠ってて気がついたら死んでいた…なんていういわゆる「大往生」という死にかたじゃなく痛みを伴う場合には。

心臓の検査で負荷薬注入時に強烈に苦しくなったときに「いてててて 死ぬのは構わんけど誰か助けてくれ」と思ったので…、
「ベルサイユのばら」で、オスカルが先立ったアンドレに救いを求める気持ちに共感できました。

で、いざ死んだら冷静で居られるかな?…というのはあります。
自分の死は自覚できても、「自分の身体もうちょっと労わってやってもよかったかな」とか「娘が心配だな」とか「お迎えは誰か来てくれるだろうか」とか、イッキにいろんな想いが去来すると思います。
でもいま孤独死したとして、いちばん心配なのは賃貸なので家を汚したくないということです。

立つ鳥跡を濁さず」。

気に入って住んでて、病気のときは大家さんが支払いを待ってくれたりしましたし、大家さんにも家にも感謝しかないので…。
腐敗が進むと出る死臭は、壁やら家電やら床下やらさまざまなところに染みついて取れないそうです。


「三途の川〜」中編より


ちなみにこのコマで後頭部から出てる白い線は、いわゆる「シルバーコード」とか「霊子線」とか呼ばれるものです。
死ぬ瞬間に切れるとか、24時間で切れて切れたら生き返れないという説もありいろいろですが…逆に切れてなければ生き返られるのかというとそうではなく…基本死んですぐ蘇生処置をとってもらわない限りは、細胞はどんどん死んで腐敗が始まりますので、孤独死では即切れたも同然だと焦げ猫は思ってます。
なのでその後のコマでは省いています。


死者の歩きかた

コレまた自分の念次第で飛ぶように遠く離れた遺族のもとへ一瞬で行ける人もいます。

焦げ猫が夢で何度か体験しているのは(しばしば、夢は臨死体験に近く、あの世を見に行っていると言われます)、たとえば「関東発で大阪に行こう」と思ったときに、車などの乗り物に乗れないコトが多く…それでも何故か1日(1晩)で行って帰ってこれちゃったりするのです。
作中では高速道路を歩いちゃってますが、国道1号〜23号バイパス〜四日市のガスタンクの風景、名阪国道…など、通い慣れたけれど車でも15時間かかるルートの光景が走馬灯のように一瞬で順番に見えます。

まれに車やバイク、自転車に乗れたり、そういうモノに乗ったまま空を飛ぶこともありますが…落ちずに飛んでいくのにかなりの集中力を要します(汗)。若い頃はよく墜落してましたが、最近うまく飛べるようになってきてます。

それは記憶による夢にすぎない…と言ってしまえばそれまでですが。

たまに深夜の高速などで「こっちは80km/h以上出しているのに謎に追いつかない人影」などを見る都市伝説的な怪談の正体は、案外こんなところなのかもしれません。

「三途の川〜」中編より。カズオがカメオ出演。

死後に迷う人

病院をバックに迷っている女性は、じつは山岸凉子先生の短編「化野の…」の主人公(登場人物の誰一人として名前はない)。
山岸作品へのオマージュです。

中編より。「化野の…」に登場の哀れなOLも焦げ猫が描くとこう(爆)

結構昔の作品で、まだコレが収められたKindle本は現時点では無いのが残念ですが、ファンの間ではよく知られているホラー短編です。
ザッと読んだだけでは意味不明な部分もあり、わたしも大人になってから意味がわかった部分があるのですが…。

ネタバレすると…、

仕事からの帰り道をトボトボと歩くOLの女性。
ところがこの女性、「早く帰らなくちゃ」と言いながら迷子になり…通い慣れたはずの道や自分の住所を忘れているのです。

最終的に河原に辿り着き、おかしな年配のオバサンに真っ赤に焼けるダルマストーブを乗り越えて川を渡るよう言われます。

しかしこんなストーブに乗ったら大火傷してしまうと思った主人公のOLは、オバサンの居ない隙にストーブの横を通り抜けます。
するといつのまにか会社帰りの道に戻っていて…。

コレがなにを意味するかというと、帰宅中に交通事故かなにかで自分が死んだことがわからず、自分の住所を忘れるほど時が経っているのに死ぬ直前の目的である「家に帰る」ことに固執してそれを繰り返す幽霊になった人の話なんだと思います…。

コレ、1つ1つの作中の出来事を考察しだすと長くなるので今回はやめときますが、それ(本人は死んでいる)を示唆するコトが順番に幾つも起きていて非常に興味深いのです。
どこかで気づけば、ループから抜けられるのにです。

事故などで急死した場所が土地勘のない場所の場合や、あまりに突然すぎて自分が死んだことがわからない人、生前「死んだらすべて無になる」と思っていた人はこのような「迷子」になるケースが多いそうです。


虫の報せ

焦げ猫がそれを経験したときは、友人グループ皆んなの中でもすごく人気者の彼女が急病で倒れ意識不明のまま数日が経ち、夜遅くまで彼女のことを心配する仲間たちでグループチャットをしていたときのことでした。

深夜でもリアルタイムで身内の方からなにかあればまとめ役の子に連絡がくるようになってたのですが、その連絡がくる直前、頭にカサっとなにか当たった気がしたんです。
蛾でも止まったかと思って頭を払って辺りを見ましたがなにもなく。

訃報を読んだ瞬間、「ああアレは彼女だったんだ」と思いました。

グループチャットに参加していなかった子からも連絡がきて、「部屋でゴキブリがジッとしてるんだけど、なぜか?怖くない…」と言ってました。
故人は美意識が強くゴキブリに乗っかるタイプじゃない人でしたが(笑)やはり身近な虫は死者が乗り物にしやすく、最後の挨拶やお盆のメッセージに使われるコトも多いらしいです。

ピクサー映画「カーズ」で、ブンブン飛んではフロントガラスにぶち当たる「虫」の役でビートルがいましたね。
彼女が乗っていたのは現行(数年経ってるから1つ前かな)のビートルだったんで、この絵になりました。

「三途の川〜」中編より

帰って来たヨッパライ

この曲は昭和42年のフォーク・クルセダーズのヒット曲で、ヒット当時は焦げ猫も弟もまだこの世に生まれてないし姉も2歳だったのですが…歴史的と言っていいほど笑いを取った曲で、その後もテレビ等でかかるコトが多々あったので記憶に残ってたんだと思います。
弟が小さい頃よく口ずさんでいた歌でもあるので、間違いなく弟は爆笑でしょう(爆)。

コレが葬式で流れて笑わない人は居ないと思います…百聞は一聴にしかず、曲をご存知ない方はどうぞ↓

焦げ猫はお笑い芸人気質とはほど遠く、お笑い芸人のネタで笑えない人です。
笑うツボが人とちょっとズレてるようなのですが、笑うのは大好きで「えっそこで笑う!?」みたいなとこでヒーヒー笑いころげてます。

葬式でも、皆んなが泣いてるのを見るより、笑ってるの見て旅立つほうが安心できるじゃないですか。
この作品を身内が読んだら葬式のネタバレになってしまいますが、実際にプレイリストを作ってあります(笑)。

ちなみにほかに作中でかかっているのは、1曲めが末期がんで息を引き取ろうとしている人の歌…マイ・ケミカル・ロマンスの「キャンサー」。
焦げ猫はたぶんがんでは死ねないと思いますが、患者目線で遺族とお別れする哀しみを歌った曲です。

My Chemical Romance/Cancer

もう1曲はまさに「お葬式」の曲というか、誰かが亡くなったことを悼む歌で、マライア・キャリーの「The Wind」。
重厚・荘厳なサウンドで、お葬式や喪服・霊柩車などが思い浮かぶ曲です。

Mariah Carey / The Wind



お葬式で笑うこと

お葬式とか神前結婚式とか「笑っちゃいけない」場で笑いをこらえていると謎に余計おかしくなるという心理が我が家系では大人になっても続いています…。
昔はよくお坊さんの読経と木魚、おりんのトリプルパンチで葬式で笑いをこらえたので、お坊さんを呼ばないであろうわたしのお葬式では「ポクポクチーンがなくても」笑ってもらうのが理想です。

そもそもなんで葬式で笑うかというと…故人とのお別れを悼まないわけではないんです。
昔から、「またどっかで会えるだろ」と根拠もなく思っていたので、母方・父方ともに祖母のお葬式では泣かなかった記憶があります。
さすがにいとこが急死したときは本人がまだ若かったし「幼い私の悪ふざけに付き合ってくれるいい人だったのに、まだ小さい子を残して…」というのがあって泣き、父が死んだときには「わたしは何てこの人に世話になったんだろう、ほんとうにお疲れ様でした、ありがとう」という気持ちで泣き。
「虫の報せ」をくれた友人のときも、「いろいろしてもらうばかりで自分は何がしてあげられたか」を思うと後悔で泣き。

「もう会えない」と思って泣いてるんじゃないので、笑いはまた別なんです。

自分の葬式(葬式と言われるような正式なものはできないと思いますが、火葬前に家族が集まってくれたら)では大いにみんなに笑ってほしいと思っています。

「三途の川〜」中編より

次回後編に続きます。

この解説のマンガ本編はこちらです(^^)↓


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