動物は「物」ではありません!
杉本彩さんの著書「動物は「物」ではありません!」を読みました。動物愛護法が改正されても、動物の「物」扱いが変わらないのはなせか。
その答えの一部が、この本にはありました。
なくならない過剰繁殖・遺棄・虐待…
・パピーミルでの仔犬・子猫の過剰繁殖。
・売れ残りの仔や親犬・親猫を引き取る「引き取り屋」。
・ペットショップや繁殖施設、引き取り屋、保護施設での不適正飼育。
・動物への虐待。犯人が逮捕されても、そのほとんどが不起訴もしくは執行猶予付きの判決。
きちんとしたペットショップや施設もある一方、酷いところはとことん酷いです。
日本には「動物愛護法」という法律があります。
その中に「適正飼養」に関する規定や、動物を殺傷したり遺棄したりした場合の罰則が明示してあります。
動物の不適正な扱いが明るみに出るたび、動物愛護法は改正されてきました。なのに、指導や取り締まりをしない行政、なかなか捜査をしてくれない警察、実刑判決を出さない裁判所…
各々事情があるのはわかってますが、正直言ってモヤモヤしてました。
「動物愛護法は何のためにあるんですか!」と。
曖昧な規定の動物愛護法
これまでの動物愛護法の規定は、「ケージ等は、個々の動物が自然な姿勢で立ち上がる、横たわる、羽ばたくなどの日常的な動作を容易に行うための十分な広さ及び空間を有するもの」としか書いておらず、具体的な数字で規定されていなかったそうです。
なので、行政が指導に入っても、業者に「狭いという根拠は何だ」と言われたらそれまで、だったそうです。行政側がはっきりとした基準を示せないため、取り締まりや指導ができなかったというわけです。
ということで、2019年の動物愛護法改正の際に、やっと具体的な数値での基準が作られました。
(この数値を決める際にも紆余曲折あったそうです…)
これで、行政側が指導や命令を出しやすくなりました。ズルい業者は法の穴をかいくぐろうとするでしょうが、ビシバシ取り締まってほしいです。
動物殺傷・虐待で実刑判決が出ないワケ
罪を犯した者へ下される判決は、裁判官が決めます(量刑といいます)。
この量刑は、名目上は各裁判官の判断に任されているそうです。
しかし、実務には「量刑相場」といって、罪名や犯罪態様でおおよその量刑が決まっているそうです。
よって、社会通念(社会の大多数が同意している常識)が大きく変わるなどの事情がない限り、過去に起きた同様の事件と全く異なる量刑や判決を出せないそうです。
動物殺傷・虐待事件はこれまで不起訴や執行猶予付きの判決が多かったため、それに倣って判決を出しているとのことです。
動物殺傷・虐待事件で実刑にならない理由がわかり、「なるほど」という気持ちと「厳罰化されたんだからきちんと裁いてほしい」という気持ちが入り交じりました。
しかし、動物愛護法改正後は「動物愛護意識が社会の中で高まりつつある」として、実刑判決が下された裁判もあるようです(2019年9月富山での事件)。
これからは実刑判決が当たり前になることを願います。
「物」扱いされるのは法律のせいなのか?
この本を読み終わった時、私はこう思いました。
法律で「物」扱いされているから、動物は「物」として見られているのではなく、そもそも人間が「物」として見ているから、法律でも「物」扱いなのではないか、と。
確かに日本の法律では、動物は「物」として扱われています。民法でも刑法でも「物」。動物愛護法では「命あるものとかんがみ…」とありますが、やはり物扱い。
法改正の会合でも「動物は「物」だ」と毎回言われるそうです。やはり、人が「物」として見ているから法律での「物」扱いも変わらないのでしょう。
動物の「物」扱いをなくすには、法律強化よりも私たちの考え方、社会通念を変えなければならない、とこの本から学びました。
私たちの生活に癒しや活力を与えてくれるペット。その命を私達に捧げてくれる牛や鶏、豚たち。「私達は動物にもっと感謝して生きないといけない」、そう思った一冊です。