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悲劇と喜劇の境界線。

人は、
自分を、
自分以外の人と比べ始めた時から、
悲劇が始まる。

『あの人みたいになれたらいいのに。』
『なんで、わたしは、
 あの人のように生きられないんだろう。』

もちろん、
わたしも、
日々生きていく中で、
そう感じることはある。

昔からよく言ったものだ。
『隣の芝生は青い。』

確かに、
隣の芝生は青く、
みずみずしく、
輝いて見える。

また、
京都の寺のつくばいから知る教え。
『吾唯知足(ただ、われ、足ることを知る)。』

多くの人は、
自分がすでに、
いろいろなものを持っていることに気づかない。
自分も然り。

物欲にあらがえず、
苦しむこともある。

よく言われる表現だが、
人は、
何も持たずに、
生まれて来たのだ。

そして、
何も持たずに、
やがて、
土に還っていく。

今はいろいろ
持っているではないか。
物質的な、
カタチあるものだけではなくて、
カタチのないものも。

そう、
誰かからの温かな気持ちだとか、
胸に焼き付いている思い出だとかも含めて。


人は、
自分を、
自分以外の誰かと
比べるのをやめた時、
そこから、
一気に
喜劇の序章が始まる気がする。

もっと楽しく生きよう。

生きていたら、みんな、
つらいことも、
しんどいことも、
いろいろあるさ。


自分の考え方ひとつで、
人生はまた、
悲劇となり、
喜劇となる、
ような気がする。

喜劇では
到底片付けられないような、
つらいことも、
あったりはするのだが。

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