見えなくても白杖を持ちたくない, ?!
見えなくても白杖を持ちたくないという話を何度か聞いたことがある。
先日見たドラマ「ヤンキー君と白杖ガール」でもそんなエピソードがあった。
ドラマでは白杖を持つことによって、「普通の人じゃなくなる」からという事だった
。
私が「普通の人」じゃなくなったと思ったのは、白杖を持った時ではなく、障碍者手
帳をもらった時である。
20代中盤だったので、家族は「結婚してからでもいいじゃない」という意見だった。
しかし、結婚の予定は皆無だし、後だしで「実は目が見えなかった」なんてことにな
ったら、結婚相手はともかく、その家族や親せきなんかに不良品として返品さ
れるのが関の山なんじゃないか?
下手したら詐欺認定である。
盲学校に入る前にしばらく通っていた生活訓練所は障碍者手帳がなければ入れなかっ
た。
私はここで点字を習って、盲学校ではり灸マッサージの免許を取って自立しなければ
ならなかったのである。
するかどうかもわからない結婚とか不確かなものより、とにかく国家資格である。
筋肉も裏切らないけど、国家資格も裏切らない。
白杖を持つようになったのは20代後半、盲学校在学中である。
だんだん視力も落ちてきて、人にぶつからないように歩くのが大変になってきた。
ある日、白杖を持ってみた。
そうしたら何手ことか、皆私に道を譲ってくれるではないか!!
気分はもうモーゼである。
一人で破約安全に目的地に行くというのが私のミッションである。
もう白杖を持たないという選択肢はなかった。
だから、「人目がどうの」とか「普通じゃない」とかっていうのは、私には斜め上の
発想だった。
だって、杖を持とうが持つまいが、障碍者は障碍者じゃないか(笑)
それに、見も知らずの人にどう思われたところで痛くもかゆくもないのである。
盲学校でも、見えようが見えまいが、視覚障碍者である限り、白杖を持つように指導
されている。
事故に遭ったとき、白杖を持っていれば自分の過失にはならない。
極端な話、赤信号で飛び出して交通事故に遭っても、白杖を持っている限り、私には
責任はないのである。
そのためにも、視覚障碍者の杖は白と決まっている。
いずれにしろ、効率重視のスーパー合理主義の私は、白杖を振り回しながら、目的地
に驀進することにした。
しかし、、考えてみれば人には人の事情がある。
私は「隣は何をする人ぞ」の都会に住んでいるので、隣近所の目というのはあってな
いようなものである。
でも、地域コミュニティーが密な場合、こそこそ手帳を取ったはいいが、杖をもった
らいきなり隣近著の噂になってしまうような場所もある。
私は他人と違ってなんぼ、キャラが立ってこその演劇部出身だったので、特に誰にど
う思われようがあまり気にしない。
でも、キャラ立ちに命を懸けているのはマイノリティーで、どうやら多くの人は出な
い釘を目指しているような気がする。
別に好きではないけど、クラスの皆が見ているから、話を合わせるためにドラマを見
る、などと言う話も聞く。
私には考えられないことだ。
同じ障碍者と言うくくりでも、環境や性格はそれぞれ、どれが普通でどれが正しいと
かは
基本的な指針はあれど、自己責任だと私は思っている。
杖を持つ持たないは当然それぞれにメリットデメリットがある。
杖を持っていれば「あ、目が見えない人」と思われ、手を貸さないまでも見ていてく
れる人もいて、危なくなったら声をかけてくれたりする。
実際杖を持っていない弱視の人が、ホームに落ちて亡くなった例もある。
一方杖を持っていると、介助にかこつけて痴漢に遭う事がある。
当たり屋に遭って、お金をせびられた人もいる。
とにかく「私は弱者です」というプレートを掲げているようなものなのでそれなりの
リスクがある。
杖を持たないリスクは推して知るべしである。
文字通り雑踏に紛れてしまうので危なくても気づかれない。
杖を持っていなかった視野狭窄の男性が、怖い人にぶつかってしまい、殴られたとい
う話も聞いたことがある。
私も点字ブロックの上で電話をしていたおじさんに正面衝突したことがあるけれど、
私の杖を見て「しょうがねえな」みたいな反応をしていた。
これはおじさんが100%悪いけれど、私が杖を持っていなかったらもっと厄介な目に
遭っていたかも。
とにかく、その辺全部を斟酌した上で、杖を持つか持たないかを決めればいいと思う
のです。
しかし、今より見えていたころは、よく電車やトイレに杖を忘れた。
杖がなくても歩けるから、傘を忘れるようにそこらへんに置いてきてしまうのである
。
それに杖は人荷物になってしまうので、たくさん荷物を持てないし、傘と一緒に持つ
のは本当に厄介(涙)
今はほとんど見えないので、杖なしで歩くのは現実的ではなくなった。
だから、とにかくリスクヘッジをしつつ、できるだけ安全にできるだけ早く目的地に
たどり着けるよう、私はひび白杖歩行をしている。