見えなくても百聞は一見に如かず, ?!
先日、シネマチュプキ田端で、ドキュメンタリー映画「普通に死ぬ」(貞末麻哉子監
督)を見た。
重度身障者がどう生きるか、親を失った後は・・というかなり思いテーマの映画であ
る。
GWとはいえ、予約は楽勝で取れるだろうと高をくくっていたが、もう普通席はいっぱ
いで「親子席なら」という事だった。
チュプキはバリアフリーシアターで、視覚聴覚障碍者のための音声ガイドや日本語字
幕、子供連れやシートでじっとしていられない人のための特別ルームがある。。
ラッキーな事に、当日はキャンセルがあり、普通席のハイクォリティー音響で映画を
楽しむ事ができた。
上映後に聞けた、監督の熱いトークも大変興味深いもので、特に「最後は皆障碍者に
なる」という言葉が印象的だった。そうなのだ、この映画は他人事ではないのだ。
自分はすでにほとんど目が見えない。今後全盲になる可能性もある。その上耳も遠く
なって身体も思うように動かせなくなるだろう将来を考えると暗澹たる気持ちになる
。
この映画に興味を持ったのもそんな所以である。
ところでこの映画、音声ガイドを入れられるところがあまりないのが見えていない私
にも察しがついたのだが、説明がないので、重度心身障碍者の方たちが実際どんな様
子でどこがどう問題なのかがよくわからなかった。
電動車いすサッカーのドキュメンタリー「蹴る」(中村和彦監督)を見た時も同じよう
な消化不良感を感じた。電動車いすがどのようにボールを「蹴る」のか、筋ジストロ
フィーの選手はどんな状態でプレイしているのか。
同行してくれた晴眼者の友達が、「選手の○○さんは、ルパン三世の足くらい脚が細
い」という事を教えてくれた。だから身長は普通の男性と変わらないのに体重が40kg
あるかないかなのだと納得した。
ボールが普通のサッカーボールよりかなり大きいこと、車いすでどうやってパスした
りシュートしたりしていたかも詳しく説明してくれた。
音声ガイドのクォリティーが低いのではなく、情報が多すぎて伝えきれないのである
。
更に、目で見たインパクトを言葉で説明しようとすると、「このギャグのどこが面白
いか説明すると‥」みたいな興覚め感が出てしまう事もある。
映画の「貞子」もガイド付きで見たけれど、画像が見えないと思ったより怖くなかっ
た。
。まさに百聞は一見に如かずが世の中にはあふれているのである。
いやいや、私の想像力が貧困なだけなのか(汗)
地震も水害も戦争も、正直今一つ実感が伴わない。
東日本大震災の後、テレビニュースを見た戦争経験者のおばさんは「東京大空襲の後
みたい」と言っていた。
ウクライナで多くの市民が殺された町の映像に対する
お医者さんのコメントに、事故で緊急搬送されてきたけれど、亡くなってしまった患
者さんのご遺体をたくさん見てきたけれど、それ以上に悲惨なご遺体だったとあった
。
創造しては見るけれど、どうしても小説を読んでいる時の感覚なのである。
津波の描写で「黒い壁が迫ってくる」というのがあったが、イメージできなかった。
やはり百聞は一見の壁を越えられないのか?!
自分はヤバいと思った。見えないことにより、共感力が欠如している。これは視覚障
害に伴う副次的な障害なのか?!
見えないけれど、触れてわかることもあった。
鍼灸師の勉強をしていたので、勉強のためにとペースメーカーがどのように入ってい
るか触らせてくれた人や、乳がんで乳房を切除した人が、自分の患部を触らせてくれ
た事がある。
教科書を読んでわかった気になっていたことが具体的な物として理解できた。本当に
ありがたかった。
でも世の中には触れないものの方が多いし触ってもわからないものもたくさんある。
一瞬で目に入ってくる情報は生活の利便性だけではなく、情緒的なあれこれにも大き
な弊害を産むのか?いや、ただ私の想像力がヘボいだけなのか(汗)
一概に「見えない」と言っても十人十色、少なくとも自分は見えていない分わかって
いない部分が多い事を認識しつつ生きていかねばと思ったGWでした。