見えなくなると共感力も薄くなるのか?!
私は見えていたころから映画は好きでよく見ていた。見えなくなってからはもう別世
界のものとしてあきらめていたけれど、ここ数年ありがたいことに音声ガイドのおか
げでまた映画の世界に戻ってこられた。
とは言え、ガイドがついているのは邦画に限定されていて外国映画は字幕も読めない
しまだ別世界の存在(涙)
それはそうと、音声ガイドで「映画を見る」ようになってから、映画の好みが変わっ
た。
見えていたころはミニシアターでしかかからないような、映像が印象的なヨーロッパ
映画が好きだったが、今はストーリーがしっかりしている作品が好きだ。
音声ガイドは映像言語である映画を見えない人にも楽しんでもらおうという意図で作
られてはいるが、一瞬で目に飛び込んでくる映像つき映画とは別ジャンルだと思って
いる。
美しい田園風景の中で営まれる日常生活も外国の大自然も言葉で説明されても、見え
ていたころのようには心にしみない。
せっかくのイケメン大集合でも見えないので「へえ、そうなんだ」としか思えない。
役者が大根だったりした日にはもう完全に興ざめである。
ホラー映画も、血みどろの死体が目に飛び込んできたときのインパクトはない。
。
よくわからなかったコントで「これはどこが面白いかと言うとね」という解説を聞い
ているような感じになってしまうのである。
私の想像力が貧困なのだろうか。
今はワクワクドキドキのサスペンスやストーリーで訴えかけてくる作品、社会派ドキ
ュメンタリーなんかの方が楽しいと思える。
これらは現実世界でも同じ。私たちの日常は音声ガイドのない映画のようなもの
電車の中の怪しげな人、通りに新しくできたおしゃれなレストラン。コンビニっぽい
けれど、セブンイレブンなのかローソンなのかガイドがないのでわからない。
最近はファミマもドア開閉の音楽が鳴らない店があるので判別できなかったりする。
いずれにしろ、何事も説明を聞いて状況がわかっても、目で見た時のインパクトはな
い。映像として頭にインプットされないから、アニメでもドラマでも見えていたころ
に比べると記憶に定着しなくなった。
いやいや、これは目のせいではなく年のせい(汗)
どうやらそうとも言えなさそうだ。
最近聞いた話では、受験生向けの英単語の参考書で、イラストと単語を結び付けて記
憶させるというものがよく売れているそうではないか。やはり映像は記憶を定着させ
るためには大きな役割を果たしているようだ。
そんなわけだかどんなわけだか、見えなくなってから知った俳優は、顔がわからない
のでいまだに誰が誰だかほとんど区別がつかない。
声で覚えればと言われるけれど、声はよっぽど印象に残った人しか判別できない。
「顔はわかるけど名前が出てこない」なんて話はよく聞くけれど、顔がわからない私
はもう一体誰が誰なんだかという感じだ。
リアルでも、長い時間手引きしてくれていた人を、散々喋っていたにもかかわらず別
の人と勘違いして違う人の名前で呼んでしまい、大変失礼な事をしてしまったことが
ある。
こんな常態でも映画やドラマを楽しむ分には特に実害はない。
しかし、見えなくなってから現実に対して共感力が低くなっているような気がするの
はいかがなものだろうか。
災害の様子や戦争の映像を見た人はその悲惨な様子を現実にあった事としてとらえ共
感できるが、私には「聞いた話」でしかなく現実感がない。小説でも読んでいるよう
な感じだ。
子供のころから「相手の気持ちになって」と言われているので、この状況はまずいと
思い、書籍やネット記事を読んだりもしたが、どうもやはり教科書を読んでいる感覚
だ。
見えないと共感力も目減りしてしまうのだろうか。そして、視覚障碍者が皆そういう
傾向にあるのだろうか。中途失明の人がそうなりがちなのだろうか。私が個人的にヤ
バいのだろうか。
この事を見える人に話したら、見えない分ダメージが少ないから、早く立ち直れてい
いんじゃないと言われた。
物は考えよう。ちょっと救われた気持ちになった。
ホラー映画を見ても、怖い映像が脳裏に焼き付いて眠れなくなることはないというの
は、人によってはメリットなのかもしれない。
ちなみに私はホラー好きなので製作の人が頑張って作った怖い映像が見えないのは残
念だと思っている。
話は戻るが、映像メディアの音声ガイドには心から感謝している。最近は地上波のド
ラマや映画にもガイドがある作品が増えていてうれしい限り。
昔は火曜サスペンスとNHKの朝ドラと大河ドラマくらいだった事を考えると本当にい
い時代になったと思う。
基本ケチな私はサブスクなんかやるものかと思っていたが、ネットフリックスには加
入している。音声ガイド付きの作品が多いからだ。
はじめは月700円だったのが私の足元を見てあざ笑っているかの如く今や1000円近く
になっているのに解約していない。
音声ガイド付き映画は個人で楽しむのはもちろんだが、視覚障碍者が映画やドラマの
話で晴眼者と一緒に盛り上がれるようになったという側面もある
いずれにしろ音声ガイドや日本語字幕が視聴覚障碍者に一段上のエンタメを提供して
くれるようになったのは間違いない。
そのために尽力してくれた多くの人たちには心から感謝している。本当にありがとう
。
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