見えなくても編み物
私は壊滅的に不器用である。
反面母は大変器用な人で編み物、縫い物、刺繍なんでもござれの人であった。
そのまた母である祖母は和裁の名人で孫である私たちに着物や浴衣を塗ってくれた。
つまり私は母方の血を言ってきたりとも継承できなかったのである。
私は中学高校を少し目の悪い生徒として普通校を卒業した。
当然家庭科の授業はあり縫い物や編み物の課題が出された。
不器用な私は当然のように先生に隠れてこそこそと家に持ち帰り母に全部やってもらっていた。
友達には「いやー、見えないから針に糸が通らないんだよ。」なんて言い訳してた。
後にもう学校の寄宿舎に入った。
なんか知らんが、もう学校の生徒は恋愛傾向が強い人が多く、バレンタインともなれば彼氏や好きな男の子に何か手作りのものをあげる、いや、あげなければならないような傾向があった。
年上で中途障害者だった私は別格扱いだったので、その潮流に従わなくても特に白眼視される事はなかった。
(白内障とは関係ない)
私が夜中にトイレに行くと試験前でもないのに他の部屋は皆電気がついている。
皆、母さんのように夜なべをして手袋だの何だの編んでいるに違いない。ご苦労なこった!
そしてバレンタイン当日、戦利品を開陳してくださる男子もちらほら。。
シンプルなものでマフラー、びっくりするようなあみぐるみやパーカーまであった。
視力0.02の子がパーカーを編むのである!!!
後で聞いたら編み物をする視覚障害者は少なくなく、視覚障害者のための編み物教室なんていうのもあるらしい。
もはや目が悪いから編み物はできない縫い物はできないは通用しない。
私はただただ不器用でものぐさなだけなのである。
失礼いたしました(ペコリ)