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見えなくても夢をあきらめない ?!
「夢をあきらめない」。響きは美しいけど、どこで折り合いをつけるかは微妙。
先日LGBTの人のドキュメンタリーを見て、その後本人のトークショーを聞いた。声優
になりたかったので、養成所に入った。プロダクションに入る際に、男女どちらで登
録するか聞かれたそうだ。本人はどちらでもないという認識なので、選ぶことができ
ず、、結局プロダクションには登録しなかったそうだ。
ぼくが性別ゼロに戻るとき| ドキュメンタリー映画 | LGBT | トランスジェンダー
https://konomi.work/
まずここでびっくり。特に声だけなんだから、役のイメージに合っているのなら、別
に男でも女でもいいじゃん!とは言え、最近は声優もアイドルになっているから、「
売れる」ことを考えると、男女に限定しなければならないのだろうか。
今は詩を書いているとのことだっったが、生活保護をもらっていると聞いてもっとび
っくりした。重度障碍者の私でさえ自力で生活しているのに、健常者が何やっている
んだ!
どうやら何か所も受けたアルバイトにことごとく不合格だったそうだ。
、飲食店の人や販売の人が女か男かなんて、正直どうでもいいのではないか?性別よ
り仕事ができるかどうかのほうがよっぽど重要だと思うのだがそうではないのだろう
か。どのトイレを使うかとか、そういう問題なのか?
そういえば、以前聞いた話。男性から女性になった人が、地方の医大に進学した。差
別を受けたのか、途中でいづらくなってしまい、退学してしまったらしい。
お医者さんは、病気を治してくれるなら、別に女だろうが男だろうが関係ないと私は
思うけれど、そういうものでもないのだろうか。
そして今回映画を見て、LGBTに対する偏見がいまだに根深いことを知って愕然とした
。
重度障碍者は実際できないことが多いので、なかなか雇ってもらえないというのは仕
方がない。しかし、LGBTだからと言う理由でできない仕事はほとんどないだろう。多
様性なんていうのはやはりまだまだきれいごとというのが現実らしい。
障害があろうがなかろうが、性的マイノリティーであろうが、やりたい事があるのは
いいことだと思う。しかし、それと並行して、よっぽど重い障害がある人以外は、「
自立」する事も視野に入れる必要があるのではないだろうか。順当に考えれば親は先
に死んでしまう。最後に残るのは自分一人なのだ。
そうは言ってもマイノリティーはなんだかんだやっぱりマイノリティーなので何をや
るにしても「狭き門」。マジョリティーより選択肢が少ない事を前提に将来設計を考
えたほうが安心して生きられるのではないか。私もいよいよ見えなくなってきたとき
、弱者はやはり国家資格だとばかりに、それまでの人生に全く縁もゆかりもなかった
鍼きゅうの免許を取った。
仕事は案の定全く適性はなかったが、とにかく固定給をもらっているので、それでス
ポーツや趣味活動を行っている。
夢は夢でいいけれど、生活保護をもらう前に、資格を取るとか自立するために何かで
きなかったのだろうか。それ以前に、病気で働けない人が、生活保護をもらえず餓死
してしまったなんて話もある一方、若い健常者が生活保護をもらえるという事実にも
驚いた。
健常者の中にも、「芝居をやっている」とか「文章を書いている」などと言って、さ
もそれで食べているようなことを言っている人がいる。若いうちは何となくアルバイ
トで暮らしていけるだろうが、年を取ったらどうにもならず、彼らは結局生活保護の
お世話になるつもりなのだろうか。
マジョリティーの中にも夢と現実を折り合わせてうまく社会生活をしている人はたく
さんいる。
夢が仕事になればそれはそれでラッキーだが、それぞれバックグラウンドもあるのだ
から皆が皆やりたいことを仕事にできるわけではない。
好きなものや打ち込める何かがあるのは人生を豊かにしてくれるすばらしいことだ。
しかしそれで生活ができるかどうかというのは別。かく言う自分も、失明という大き
なターニングポイントがあったから腹をくくれたのだと思う。それがなかったら、今
も根無し草のアルバイト生活とかしていたかもしれない。