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まーちゃんという猫

まーちゃんという猫が死んだ。
5歳くらいだった。

私がこのnoteを書くのは
まーちゃんという猫が生きて、死んだという記録を残しておきたいからである。

控えめで怖がりで、とっても優しくてかわいいねこだった。
先週末実家に帰ったときにはもう
ごはんが食べられなくなって1週間経っていた。

まーちゃんは野良猫だけれど、うちの敷地内で生まれて育った。
あとから生まれたちいさな兄弟を、母猫よりも甲斐甲斐しくお世話していた。
昔からあまり構うと遠くに逃げてしまうので
私も母も適度な距離感を保ちながら接していた。

ここ数日で突然、病院に連れて行ったとしても耐えきれないことが
素人目にもわかるほど衰弱した。

自然の中で生きてきたねこ達にとっては、
病院の冷たい檻で最期を迎えるより
いつも通り草花を見ながら太陽の光を受け
鳥の声を聞きながら死んでいく方がなんとなく良い気がして、できる限り母と見守ることにした。

しかし、この自然に任せるということが本当に辛かった。良くなる見込みがないのはわかっていても、できることがないのだ。

私は毎日一緒に居られないので、母が仕事をしながら気にかけるという状態だったが
母も食欲が減り、元気がなくなっていった。
あとどのくらい生きていてくれるだろうとふと考えてしまうことが、本当に辛く悲しかった。

木曜日、仕事後に母からメールが来ていた。
電話をすると
まだ頑張ってるけれど、もう歩けなくなってたから家の中に入れてふわふわの毛布にくるんで寝かせていると言う。
間に合わないかもしれないと思いながら2時間ほど車を走らせる。
まーちゃんは、眠っていた。間に合ってホッとした。
口の中が痛いのか、何度か口を開けて「にゃあ」と言う。聞いたことのない、か細い声だった。

まーちゃんをあんなにたくさん撫でることができたのは、悲しいかなこの日が初めてだった。
過度に構うのを嫌う猫だったけれど、どうしても撫でさせて欲しくて何度も撫でた。

まーちゃんの隣で横になり、見守る。
基本的に寝ているが、たまに細く目を開けて周りを確認する。
ポヤポヤとした柔らかいお腹の毛が、わずかに上下する。
あと何回、息をするだろうか。

夜の0時半過ぎに寝て、どういうわけか3時頃
パッと目が覚めてまーちゃんの様子を見た。

同じように小さく息をしていたが、撫でると
にゃんと言う口の形をした。
30分ほど撫でていたが、ふと「あれ?」と思い
電気を明るくして確認すると
お腹の上下運動が無くなっていた。

まーちゃんは死んだ。
私が撫でている間に、死んでしまった。
あまりにも静かだった。

母を起こし、まーちゃんが今死んだよと伝える。
泣きながら起きてきた母に
「ずっと起きてたの」と聞かれ
いや、なんとなく目が覚めたとこたえた。
これがいわゆる虫の知らせというものか。

母も、20代のころ実家で飼っていた猫が突然夢に出てきたことがあり
心配になって電話をしたところ
「あんたが泣くから帰ってくるまで黙っておくつもりだったけど、2日前に死んでしまった」と
祖母から言われたことがあるという。

動物は人間の言葉を喋らない。
でもきっと、生き物同士の不思議な力があって
理屈では説明できない伝達方法で
何かを伝えようとしてくれるのかもしれない。

私は運よく、まーちゃんからのその伝達を
受け取ることができたと思いたい。

まーちゃんを産んだお母さん猫は、今年でたぶん12歳くらいかな。

まだまだ、食欲旺盛で元気である。
長生きして欲しい。

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