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オーストラリア旅行記③「日本人宿」

アデレードはオーストラリア南部に位置するコンパクトシティである。今でもやっているかどうかわからないが、当時はF1なども開催されていた。私としては特に長居するつもりはなかったし、実際しなかった。しかしながら、アデレードでの数日はその後の旅行大好き人生を踏まえても、非常に貴重な経験となる。

結論からいうと、アデレードで私が体験したのは「日本人宿」である。この日本人宿についても多少定義が分かれるところがあると思うが、私が泊った宿はあくまで外人(多分オーストラリア人)が経営、スタッフやっているが、日本人で手伝いをしている人がおり、宿泊者の大半が日本人、という宿だった。日本人宿に詳しくない方むけに簡単に説明させていただくと、日本人宿とは、宿泊客の大半が日本人であり、かつ、そのなかにいくらかの長期滞在者がいて、その宿泊施設内にある種のコミュニティが形成されている宿のことである。

ご存知でない方からすると、海外までいってなにそれ?と思われるかもしれないが、海外長旅をしていると、日本語や日本人が恋しくなることもあり、また、日本語による詳細な情報を得たいときもある。特に情報については、海外の幾分かの地域では日本語情報が入りづらく、海外旅行者とは語学が堪能でないと意思疎通が難しかったりするため、旅行経験豊富な日本人が滞在している日本人宿、というのはなかなかにして貴重な存在なのである。実際、私の場合は特に日本語の情報が必要だったわけではないのだが、単純にみつけた宿がそこだったのである。もちろんチェックインの際はすぐに日本人宿、と気づくわけだが、まあいいや、程度の話だった。

しかし滞在してみると「癖が強い」である。まず長期滞在者が結構いるせいもあるが、本当によそ者、というか外様の気分なのである。そもそも長期滞在者が宿を手伝っている、というのもあり、一種の明文化、もしくは明文化されていないルールがあり、非常に自由を感じない。かつ、一部の長期滞在者はマウントしがちである。そして、部屋が汚い。これも長期で泊っている人間がいればそうなるか、というのもあるが、今まで泊ったドミトリーのなかで一番汚い宿であった。さらに夜になると当然どんちゃん騒ぎである。寝るのが遅い人間も多いし、ドミトリー宿としては最悪である。結果、2日程で宿を出ることになるのだが。

人によって好き嫌いはあると思うし、要は使いよう、な気もするのだが、なぜ海外に行ってまで日本人どおしで集まってバカ騒ぎしないといけないのか疑問である。ただこれは必ずしも日本人だけを批判できるものではなく、他の宿では欧米人がどんちゃんパーティーをしてたりするので、まあなんともいえないのだが。しかし、同国人どおしで集まって海外の安宿に安住し、毎日遅くまで酒を飲んでるのってどうなんだろう、と思ったりする。それもまた経験だとは思うが。また、このような海外長期滞在者が海外で一か所にとどまることを「沈没」などといったりするが、これも日本人どおりで集まって、要は「自分のまわりに日本を作って」海外に沈没することにどれ程の意味があるのかと思う。

と、辛辣なことも書いてみたが、おそらく皆様お察しのとおり、沈没する人はだいたい日本で辛辣な思いをし、居場所がなくなった、もしくは一時的に離れたくて離れている人達が多い(私見です)気がした。要は、日本を離れたかったけど、その時に所属していた経済的・・社会的コミュニティに合わなかったので脱出したかったけど、実際生活的に、というか文化的にまで日本を離れたかったわけではなかったのだろうな、と思う。今思えば、当時はバブル崩壊後で経済的にはめちゃめちゃ、猟奇的な殺人事件やオウムの事件などもあり、日本が暗い影を落としていた時代であった。まして、世紀末である。彼らはそんな暗雲とした日本に嫌気がさしていたのかもしれない、というか今振り返ると本当にヤバい時代だったと思う。別に私が優れた人間とか、そんな当時に彼らのようにならず真っ当に育った人間、などというつもりは毛頭ない。むしろ、紙一重だったと思う。実際、当時世界中にこのような日本人宿はたくさんあったと聞く。まあ、平和ならいいのですけどね。悲しいことに実際のところ、日本人宿では日本人が日本人を騙す、とか窃盗とか性犯罪、のようなことも結構あったと聞く。今でも世界中に日本人宿があるようだが、40代になった今、ちょっと覗いてみたい、と一片の思考が頭をよぎったりするのであった。

ということで、日本人宿以外特に思い出がないアデレードだったが、ここに数日滞在したのは訳があり、いよいよ向かうエアーズロックに向けての準備を整えるためであった。オーストラリアの地図をご覧いただければご理解いただけると思うが、エアーズロックはまさにオーストラリア大陸の臍(へそ)である。行くにも出るにも時間がかかる。そこにバスで行こうというのだから、今考えても狂気の沙汰ではない(といってもエアーズロック行きのバスは結構あり、満杯だったので狂気の沙汰でない旅行者がたくさんいたわけだが、ちなみに日本人はほぼ皆無だった)。何時間かかったか思い出せないが、10数時間かかった記憶がある。しかし、エアーズロックはその苦労をしてみ充分訪れる価値のある場所だった。ということで次回はエアーズロックおよびその周辺編となります。


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