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人生で最後の猫
猫に生まれたかった。
そもそも人間に生まれたのが間違いだと思っている。
嫌なことがあるとすぐ、家に帰って丸くなって寝たいと思う。極力家から出たくない。団体行動は苦手だし人混み嫌いだし賑やかな場所も苦手。相手は相手で自分は自分、そうして寿命が尽きるまでそっと生きてそっと死にたい。猫に生まれたかった。
単なるコミュ障の引きこもり希望者が呟く寝言のようだが、私は本当にそう思っている。
今でも、ここぞという時やピンチの時には、三十年前に亡くなった母にではなく、今同居している現世代(三匹いる)の一代前の猫・るりニャにお祈りする。
どうか、力を貸してください。見守っていてください。どうかどうか。るりニャお願い。と。
現世代(茶白とキジ白と三毛)のうちの茶白であるところのモカたんはジキルとハイドめいた二重猫格者だが、私は猫に生まれてこのモカたんの彼女になりたかった。
何しろモカたんはふたりきりの時は甘々のデレデレで私を魅了するのだ。時折の理不尽な暴力など何ほどのことがあろう。私は胸を張って何度でも言う。猫に生まれたかった。猫に生まれて(以下略)
そんな私が猫と暮らしているのは必然といえよう。前述の茶白・モカたんとキジ白(名をムギっち)は会社絡みで貰った兄弟猫で、今年で六歳になる。
ムギっちは食欲に全振りした猫で、空気を読まないことを身上としており、モカたんによく怒られている。が、反省はしない。猫として誠に正しい在り方だと思う。
三毛は名をあんこといい、五年前に保護した猫のうちの一匹だ。母猫が突如乳飲み子三匹を連れて我が家のカーポート脇の側溝で子育てを始めたのだ。
母猫は避妊手術の後リリースし、地域猫としてこの界隈に君臨していた。三匹の子供たちのうち二匹は無事里親が見つかり、あんこは我が家で引き取った。
招き猫と同じ飛び柄三毛で、幼い頃から面倒見がよく現在も私の面倒はよく見てくれるが(トイレへの付き添い、添い寝、毛づくろいなど)兄猫たちに対しては突如キレてタコ殴りしたりしている。これまた実に猫らしく、愛さずにいられない紅一点である。
五十代も半ばを過ぎた私にとって、この現世代の三匹が、共に暮らす最後の猫たちになるだろうと思っていた。
いた。過去形。過去形なのである。2024年もあと一ヶ月という時、突然殴り込みのようにしてやってきた捨て猫三匹。保護してしまった。勿論里親募集はしているが、一ヶ月と少し経った現在、反応なし。
このままいくと、扶養猫は一気に倍増して六匹になる。いやそれを覚悟で保護したのではあるが。
ちなみに新たに保護した子たちは、かかりつけの獣医師によると一歳程度だという。平均年齢の大幅な若年化。扶養猫たちを看取るまでは元気でいなければと常々思っていたが、それも四年引き延ばされてしまうのか。元気でいられるのか私は。財政は果たして。
不安と、保護した子たちへの情との間で気持ちが右往左往する。このnoteは、ゆえに、里親探しのツールでもある。
これがどなたかの目に留まり、この子たちのずっとのおうちが見つかれば。
溺れる者は藁をも掴むというが、それよりむしろわらしべ長者に近い。何しろnoteは課金制度もあるというではないか。里親までの道中、フード代や病院代の一助にでもなれば。
そんな諸々の下心も確かにあるが、要は単なる猫バカのたわごとだ。
アハハと笑ったり、あるあると頷いたりしつつお付き合いいただければこれ幸いである。