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恋愛ソングに共感できない。共感ってなに?

恋愛ソングに共感できない。
それは、自分が一人でいることが好きで、恋愛経験が浅いからだと思う。そもそも「恋愛」というものに対して興味が薄いのかもしれない。

でも、なぜ共感できないのか?
恋愛マンガや恋愛ドラマは共感できるし、楽しむことはできてるのに。なぜ恋愛ソングだけ?

この「共感できる」「できない」の差は何なんだろうか。
考えた結果、1つの仮説にたどり着いた。

それは「歌に共感したかったら、”主人公”を降板させろ」ということだ。




留意点

念のため事前に言っておくと「共感できないから、恋愛ソングが嫌い」という訳じゃない。

共感できないが、MISIAの「Everything」は昔から好きだし、須田景凪の「シャルル」はメロディが好きだからよく聴いている。

「あなたが私のすべて」と思えるような恋愛をしたことはないし、「恋人にため息をつかれる」といった苦い経験もしたことがないが、「Everything」も「シャルル」も好きだ。

共感できれば好きになれる可能性は高いと思うが、「共感できない=嫌い」ではない、ということを先に伝えておきたい。

また、途中「推しカプ」「イメソン」といったオタク用語が出てくるので、そういった言葉が苦手な方はブラウザバックをおすすめします。



恋愛ソングと恋愛ものコンテンツ

では本題に戻り、恋愛ソング以外の恋愛ものコンテンツから考えていく。
たとえば、恋愛小説・マンガは普通に読むし、恋愛ドラマや映画も見たりする。物語の好みにもよるが、共感できてしまう。

なぜなのか?

当たり前だが、マンガやドラマなどストーリーがしっかりと構成されているコンテンツだと、その物語自体に”主人公”がいる。自分は体験したことがなくても、物語の主人公を通して追体験していく。主人公の生い立ちや性格、心の動きなどを長い時間をかけて丁寧に説明してくれるため、共感しやすい。

それに比べると、恋愛ソングに与えられてる時間はものすごく短い。長くても1曲5分ぐらい。その短い時間で想いを伝える必要があるから、どうしても余白ができる。聴き手はその余白を自分の記憶や思い出と紐付けて解釈していくのだ。

そして、自分の体験と強く合致した曲を聴いたとき、「自分の気持ちを代弁してもらえた」「自分のために歌ってくれた」と感じる。

しかし、聴き手側にその恋愛経験がないと余白を埋めることが難しいし、そもそも「自分の気持ちを代弁してもらえた」という心境にはならない。

つまり、恋愛ソングを聴くときだけ、自分自身に”主人公”の役割を与えられてしまう。急に。別に主人公になりたいと思ってないにも関わらずに。そして「あれ?なんかこの主人公(自分)、この物語(恋愛ソング)にあってなくない?」と役者のミスマッチが起きるのだ。



共感できる恋愛ソング

じゃあ、恋愛経験が浅い自分は恋愛ソングに全く共感できないのだろうか?思い返してみたところ、共感できる曲はいくつかあったのだ。

それは「自分が”主人公”じゃない曲」だ。

たとえば自分にとっては、BUMP OF CHICKENの「新世界」や、星野源の「恋」、奥華子の「変わらないもの」などがそうだ。


恋愛ソングの周辺要素で共感しやすくなった

「新世界」はロッテ創業70周年記念スペシャルアニメーション「ベイビーアイラブユーだぜ」に起用された曲。



一言でいうと「あなたと出会ったことで世界は新しく生まれ変わった」という曲だ。アニメーションも「男の子が女子高生と出会い、恋をすることで世界が明るく輝きだした」ということを表現している。この曲を聴く時、主人公は自分ではなく、自然とこのアニメーションの男の子を主人公として聴いているのだ。
3分43秒という短い時間だが、曲とアニメーションがうまくリンクしていることで自分でも共感できるようになっている。

同じように、「恋」を聴く時は、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のみくりと平匡のことを思って共感できるし、
「変わらないもの」は映画「時をかける少女」の主人公まことの気持ちになって聴ける。

つまり、恋愛ソングにあわせたMVやアニメーション、ドラマや映画など追加情報があれば、それが補助線となって自分でも共感しやすくなるのだ。



”主人公”を全く関係ない所から持ってくる

もう1つ共感できるようになった方法として「推しカプのイメソンとして聴く」ということだ。

「推しカプ?イメソン??」という方向けに簡単に説明すると、

推しカプ…推しキャラのカップリングのこと
イメソン…イメージソングのこと

つまり「推しキャラカップリングのイメージソングとして聴く」ということだ。(そのまんま)

これができると、共感できる曲がかなり増える。
なぜなら、MVやドラマの主題歌だと、どうしてもその楽曲の発信者側がMVやドラマなどを用意してくれないといけないが、
推しカプイメソンだと発信者側の意図とは関係なく、聴き手側が勝手に推しカプにあう曲だと認識して楽しむからだ。

ちなみに、「自分ごととしてだと共感できないのに、推しカプのイメソンとして聴くと急に共感できるようになる曲」というのがある。例として加藤ミリヤの「WHY」を紹介する。



「WHY」を一言で説明すると、「二股されてるのに、その男性が大好き過ぎて辛い」
「男性との関係をこれで最後にしようと思いながら通うも、好きだからとズルズルと関係続いてしまっている。私の事だけを好きでいて欲しい、どうしてそうしてくれないんだ」と歌っている曲だ。

正直、本当に申し訳ないのだが、自分を”主人公”としてこの曲を聴こうとすると、まったく共感できないのだ。
だって、自分は二股されたことなんてないですし。自分のことを大切にしてくれない男なんて別れたほうがいいだろ…と冷めた意見しか出てこないのだ。

しかし、推しカプのイメソンだと思って聴くと、”主人公”は推しカプに変わり「そうだよねぇぇ!好きだから離れなれないんだよねっ!めっちゃわかる!!」とキモいぐらい理解度が増すのだ。

なんというか「解き方がわからない数学の問題を前にして、方程式を1つ出してもらえたような気分」だ。

このおかげで「WHY」だけじゃなく、Official髭男dismの「Pretender」も米津玄師の「Lemon」もめちゃくちゃ共感できるようになった。

製作者側が想定していなかった楽しみ方をしてしまっているような気がするが、推しカプのイメソンだと思って聴くという楽しみ方は、「楽曲の外から補足要素を追加することで共感しやすくなる」という点でいうと、MVやドラマの主題歌と構造上同じと言えるかもしれない。



さいごに

ずっとモヤモヤと思っていたことをどうにか言語化してここまで書いてきたが、理解してもらえてるかめちゃくちゃ不安。
ここまで読んで頂けた方がいましたら、本当にありがとうございます。

当初、「歌に共感したかったら、”主人公”を降板させろ」と意味不明な主張をしてしまったが、言い換えるとすれば「興味のない恋愛ソングでも視点さえ代えれれば、共感できる余地が生まれる可能性がある」と言えると思う。

だからといって「射手座☆午後九時Don't be late」よろしく、「みんな恋愛ソングを聴け!」ということを別に言いたいのではなく、
生きてれば人生何が起こるかわからないから、今興味がない曲でも突然共感できる日がやってくるかもしれないし、もしかしたら降板させていた自分を”主人公”として聴ける日もやってくるかもしれないってことだ。

それは恋愛ソングに限らなくて、青春ソングかもしれないし、他の曲かもしれない。



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