「おめでとう」を言わない夫からの学び。
平和を望むならまず自分から・・・と言いますよね。
自分の中から怒りを無くすこと。
そう有りたいと思い、生活環境を変えたり、瞑想をしたり、
自分の怒りを見つめて、その大元になっている感情を探したりしながら暮らすようになって、
おかげさまで日々、んんっ?!ってことがあっても怒らずに冷静に思いを伝える事が出来ているつもりなんですが。。
先日の私の誕生日。
何もないのはいつもの事で、プレゼントもおめでとう。も、まぁ、無い。
というのが普通になりつついるのですが、
私の中で「おめでとう」を言わないというのが、どうしてもモヤモと心をざわつかせる事のひとつで・・・何度か話し合ったこともあったけど、1年経つと忘れるのか、
やっぱり言わない。。
おめでとう!ありがとう!なんて人生でいっぱいいっぱい言いたい、それだけで幸せになれる魔法の言葉。
やのに、たったその一言をなんで言えへんねん!!と
違う私が出てきたりしてしまったり、哀しくなったり。
ふだんは、忙しく日々を過ごしながらも、穏やかに怒ることも無く暮らしているのに。
もう、こんな気持ちはいらんのになぁ。となんとなく、
「おめでとうを言わない」と検索してみたら結構いました(笑)
誕生日におめでとうを言わない彼、夫。
理由として
・照れくさい
・誕生日を特別にめでたいと思わない
・そういう習慣がない
などが考えられると分析しているのもありました。
夫の理由もそんなもの。そんな人まぁいないだろうと思っていたのでまず驚きました。
色々みていると少数派ではあるけど、人それぞれ、価値観が違うのは当たり前よね・・・
と、夫との距離感では思いもしなかった視点でみえてきて
そう考えれば、たったそれだけの事で感情を揺さぶられることでもないなぁ。。と
「おめでとう」「ありがとう」は嬉しい言葉だと私の気持ちは伝えてある。
何でもない日に感謝の気持ちを伝えてくれることもある。
どう考え、何を選択しようと、何十年夫婦であろうと自由だ。
ハゼの木の紅葉がきれいに映えるこんな美しい日にわざわざ気分を落とすように、そんな小さなことに執着しなくていいや。
とふわっと心が軽くなったのでした。
気分もよくなり、ふだん通りに「おかえり~」と夫を迎え、
お風呂で薪をくべていたら、ハイビスカスの花を私の髪に挿し「おめでとう!」と。
うわっ!エッ!なに!とパニクりながら「ありがとう」と言えました。
私が言わないという夫の選択を否定する事を手放し
夫は固まっていた習慣を手放したのでしょうか。
きっと、私が怒りや哀しさを持ったままいたら、こうしてもらえなかったと思うのです。
時には人を責めてしまうような思い込みや価値観、思い癖や習慣、自分の考え方さえも違う視点でみてみれば、とても小さな箱の中で制限を作っている。
そんな、自分の中にある小さな争いの元を見つめて手放してゆけば現実は簡単に変わる。
そんな事を教えてもらった誕生日のできごとでした。
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