つれづれ…なるままに。48。
母の家は、名古屋から少し離れた、海の近くにありました。
けれども海に行くことは許されず、結局、母は一生泳げませんでした。
田舎の勤め人、というだけでも変わっていたらしいのですが、祖父が「新し物好き」だったようで、朝食はトーストにバターだったそうです。「○○さんちから、いい匂いがする」家でした。
戦前に、七輪でパンを焼いてバターを塗る。
そんな家には、出入りの御用聞がいて、時々お菓子屋さんが上生菓子を持ってきて買ってくれる。
それが、母たち兄妹の「おめざ」だったそうです。朝起きて一口甘いものを食べるわけです。
昔の、良いとこのおうちは「おめざ」があったのだと…いわゆるお嬢様でした。
兄妹は5人、みなハルさんの産んだ子どもですが、祖父は子ども嫌いだったらしく、
2階への階段を上がった正面に、怖い幽霊の掛け軸がかかっていたそうで。
2階には子どもは入れなかったと…やることが少々えげつない方でした。
祖父は、趣味人でもあり、俳句や短歌を書いて同人誌のようなものを作ったり、絵も竹久夢二風なものを描いたり、骨董品を集めたりと好きにやっていたようです。
映画も好きで、名古屋にスーツを来てにとんびのコート、一番お気に入りの(自称)母には真っ赤なコートを着せて、ハロルド&ロイドやバスター・キートンを観に行っていたとのこと。
呆れるほど、好きに生きていた祖父です。
子育てはハルさんに任せて、母は兄妹の真ん中ですが、上のふたり(兄と姉)は父親の影響をそのまま受け継ぎ、ハルさんを、見下していたようです。
そのうち、名古屋市内の主税町に引っ越します。そして太平洋戦争が始まる時期になります。
今日はここまで。午後は此方に伺います。