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サガン鳥栖のヒーローだった彼に贈るnote

赤星、丹羽、ソンヘ、クナン、磯崎、藤田、高橋、水沼、池田、ミヌ、そして彼

2012年、水色とピンクのチームが初めてJ1に上がってきたときの11人。岡本とか早坂とか野田とかもいたけど、この11人の印象がとても残っている。

もともとファンタジーサッカーというyahooがやってたサッカーのゲームからJリーグに興味を持った。学生のころはスカパーで、サッカーのある日は、特に春や秋は、13時KOから19時KOまで8時間ぶっ通しでカテゴリーに拘らず何試合も見ていた。サッカーのない日は、暇なら一日中再放送の試合を見ていた。その中で地元だったガンバ大阪のファンになり、ファンサカ的にお世話になっていた甲府とか川崎とかも好きだったけど、こんなサッカーもあるんやな、面白いって思ったのがサガン鳥栖だった。

パスサッカーなんてクソくらえみたいな、守ってカウンターとセットプレー(ロングスロー含む)で点取って勝つ、そういうやつ。嫌いな人も多いのかもしれないけれど、僕にはとても美しく見えた。

正直に言えば、その中で僕が好きだったのは死ぬまで走ってたミヌと宏太だったけど、それを抜きにしてこの戦術は彼がいないと成り立たたなかった。

チームが押し込まれている時の苦し紛れのクリアボールを、彼一人の力でキープしてファウルを取って陣地を戻し、味方に一息つける時間を与える。その仕事は本当にすごかった。もちろん年間20点くらいとっていたその得点力はいうまでもないけど、それ以上にそこが本当にすごかった。職人芸といってもいい。その存在がチームに、サポーターに勇気を与えていた。鳥栖がホームで特に強かったのは、その存在によってサポーターが勇気を貰い、それをさらに選手に返していたからだと今でも強く思う。それほど彼のプレー一つは、あのスタジアムの雰囲気に影響を与えていた。あのスタジアムが好きだったのは、それこそ彼がいたからだったかもしれない。

時は流れていくもので、ユンさんが退任して森下さん、マッシモ、カレーラス、ミョンヒさんと監督は変わり(抜けてる人がいたら本当にごめんなさい)、チームの戦術も徐々につなぐサッカーへと変遷していった。正直、このあたりで僕は美しく思えたサッカーから離れてしまったので応援する気持ちも薄れていたのは事実。でもそれは、彼らがJ1に上がったからこそ生まれたともいえるユース強化策が順調に行っていた証だと、今なら気づける。

でもあえてこう書くならば、その強化策がうまくいってしまった”せい”で、彼の出番は少なくなってしまった。一度は蔚山へレンタルにも出た。でもその時は必ず戻ってくると言って、実際戻ってきてくれた。でも出番はやっぱりあんまりなかった。

それでも腐らずにチームのためにずっとずっと働いていてくれたのは、このチームにかかわっている人ならみんなが知っている。

J1に昇格したタイミングやJ1のベストイレブンになったタイミング、あのころにはきっと大きなチームから良い条件のオファーを絶対に貰っていたと思う。

それなのにJ1の中では小さいクラブにずっとずっと残って、水色とピンクのユニフォームを身をまとい、チームカラーのマウスピースをはめ、削られまくってもチームのために体を張って、後ろを楽にするために最前線で走りまくって、しかもロスタイムに劇的なゴールなんて決めたりして、本当にこのチームのヒーローだった。







もう彼も36歳になった。チームのために働き続けたヒーローだって、最後に一花咲かせたいだろう。そのくらいの我儘を言う権利は、十二分にある。あなたが活躍し続けてくれたおかげでずっとJ1にいれたし、そのおかげでユース強化もうまくいき、資金面が苦しいのは事実だけど、それでもチームの未来は明るいものとなった。だからもうこのチームのことは心配せずに、新しい場所でもう一度その名前を轟かせてほしい



豊田陽平



今まで本当にありがとう。サガン鳥栖のヒーローだった男。

そしてこれから、栃木SCのヒーローになる


だけどやっぱり、引退したら何らかの形で戻ってきてほしいって思うのはサポーターの我儘かな。いつでも帰ってきてね。


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