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他喜力のリミット

高校時代は、野球に没頭していました。
公立の農林高校で、お世話になった監督は人事異動のためお二方おられます。
3年生の春からお世話になった監督から、タイトルにもある「他喜力」について教わりました。

文字通り、

自分よりも他者の喜びを考え、行動する力

のことなのですが、
これはかなり野球に必要な力なわけで。
例えば、自分がいくら打ちたくても、走者を進めるために送りバントをしたり。
すごく試合に出たくても、控えにまわったらベンチワーク(打ったあとのバットを拾いに行く、野手の飲み物を準備するなど)をしないといけなかったり。

勝つためには、他喜力が必要不可欠なのです。

社会に出ても同様でした。
お客様が喜ぶようなサービスを考えたり、1円にもならないボランティアを引き受けたり、他喜力で社会は成り立っているとよく感じます(そもそも、人間は集団で生きる生き物なので、助け合うのは当然なのですが)。

でも、この力の使い方を間違えると、すごく生きづらくなるんじゃないかって、最近感じるんです。

いま、コーディネーターとして高校に勤めていますが、高校生をみていると、
「こう言えば大人は喜ぶだろう」
「こう動けばあの人の機嫌を損ねないだろう」
と考えている生徒が一定数いることに気づきます。
相手の気持ちや表情をくみ取るのが上手い生徒ほどその傾向にある気がします。

でも、他人の正解に自分の言動を寄せに行くことを続けると、自分の正解が段々わからなくなるんじゃないかと思うんです。

自分がこうしたい、ああしたいと思う思考回路を廃れさせている気がして、すごくもったいない!

だから、他喜力のリミットは、
「そこに自分の喜びが含まれるところまで」
と考えました。

自分の喜びが無い他喜力は、「搾取」です。

喜びは分かち合うもの。
勝ちたい!っていう思いのもと、他喜力を結集してたあの高校野球の感覚を、もう一度再現したい!!

今の仲間と。

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