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なかった選択肢、それが人生最高の選択肢だった。


アタシの人生で、最高の決断だったと断言できる。


「卵子提供で子供を授かる。」


自分の遺伝子のつながりのない子を妊娠する。

そんな解釈をされがちだし、実際に自分も遺伝子のつながりのない子供を生むことは考えておらず、卵子提供という選択肢はなかったはずなのに・・・

人生とは、本当に摩訶不思議。


長らく不妊治療を続けていたが、どうしても卵子の老化には敵わなくて、

48歳の時、大きな決断に迫られた。

  • このまま無理と分かってお金と時間を費やし不妊治療を続けるか?

  • 旦那と2人で子ナシ人生をEnjoyするか?


不妊治療のドクターは、こぞって卵子提供を勧めて来たが、その選択はありませんと言い切っていた自分だった。

そして、自分の卵子で頑張り続けてダメだったら、後者の選択をする予定でいた。


ところが、アタシは9ヶ月前に、卵子提供で身ごもった待望の赤ちゃんを49歳で出産した!

本当に、人生は摩訶不思議。

ありえなかった選択肢を選んで、最高の人生を掴んでしまったのだ!


こんな幸せがあるなんて、

この幸せを経験せずには死ねなかった。


あの時、ありもしなかった選択肢を、選択してくれた自分に感謝。


そう、選択肢にはなかった選択肢。


でも、あれは、本能だったんだと思う。


女性に生まれたからには、女性だけが出来る妊娠出産を経験してみたいという本能。

自分の卵子を老化するまで妊娠を先送りにしてしまったことは、多少の罪悪感を感じるが、

人生って、本当にタイミングで、生殖機能ピークの時に、子供を生みたいという精神的準備が整っていなかったり、また一緒に子供を持ちたいパートナーに出会えているとは限らない。

子供を持ちたいと強く思うようになった40代。そして、その人の子ともを身ごもりたいというパートナーが現れたのも40代。

しかし、生殖機能のピークは、とうの昔に過ぎ去ってしまっていた。


だから、諦めるしかないって、頭では分かっていたのに、

本能からの欲求が突き動かしたのか?


あの時、なかった選択肢を選べなかったら、

それはそれで、楽しい人生は遅れてはいたかもしれない、

だけど、なかった選択肢を選べて本当によかった!


年齢や、血縁関係を重視する日本では、なかなか選択できない選択でもあるが、アメリカに住んでいるからその選択のハードルも下がったのも、選択出来た一つの理由かなとも思う。


決してアタシは、卵子提供を勧めているわけでも、生殖機能のピーク時を考えないライフプランを勧めているわけではない。

ただ、自分の前に並んだ人生の選択肢って、時に見えていないことがあるんだなって、

で、本当に望んでいることって、選択肢にないのに、それを選択していることがあるんだと、


年齢の事や、血縁関係のことをとやかく言う人もいると思うんですが、

自分の人生を他人のせいで諦めたくないし、

これだけの決断は、生れて来てくれた子供にも胸を張って言える、どうしても貴方に会いたかったんだと。


アタシは、卵子提供を受けて、9ヶ月前に待望の赤ちゃんを出産しました。

そして、今、世界で一番幸せな子育てをしております。

育児は、簡単なものではありませんが、本当にかけがえのない毎日を息子と過ごしておりまして、

卵子提供で、子供を生んだこと、アタシのこの50年の人生で、一番最高の決断だったと言えます。


血のつながりって、なんてことないよ。

だってもっと深いところで繋がってるから。


超高齢だったけど、自分の人生で、妊娠して出産出来たこと、そして今、子育てをしていること、この経験が出来たことに感謝だし、本当に我が人生で、それをしないで死ねなかった!

そして、子供を育てているんですが、私は毎日、子供から学んでいます。こんな自分がいるんだ、あんな自分がいるんだ、いろんな発見を繰り返しながら、自分も成長しているのが分かります。


うん、何度でも言うよ。

アタシの人生で、最高の選択をした自分、


本当に感謝している。


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