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大阪モデルの持つ意義と妥当性

こんにちは。

第3回は新型コロナウイルス関連のテーマに戻って、先週発表された大阪モデルの意義と妥当性について考察していきたいと思います。YouTuberのTakumaより頂きました。

気づいたらほとんど大阪モデルと直接関係のない内容になっていましたが、新たな学びも多かったです。

なぜ出口戦略が必要か

そもそも吉村知事が大阪モデルと呼ばれる独自基準を設ける引き金となったのが、緊急事態宣言の5月7日から5月31日までの延長です。宣言解除の基準が明確でなく、出口戦略なき自粛延長が経済にもたらす影響を懸念しての行動だと考えられます。

この経済への影響というものを適切に評価することは難題ですが、少なくとも平均的な世論はこれを過小評価しているように思います。「本当に安全といえるまでは徹底的に自粛したらいいじゃないか」と考えるのが普通かもしれません。その一方で、外的な不可抗力によって、経営・雇用への不安がかつてない勢いで増大していることも認識しなければなりません。

大阪モデルの議論に入る前に、そもそも緊急事態宣言がもたらす経済・雇用への影響を簡単に見ていきたいと思います。

外食・旅行は日本の基幹産業である

緊急事態宣言下で深刻な打撃を受けている産業の代表例としては、外食・旅行業界が挙げられます。多くの人々はこれらを"周辺的な産業"と認識しているような気がします。僕もそうでした。

しかし実際には、外食は25兆円、旅行は20兆円の年間市場規模を誇ります。これは日本のGDPの約8%に相当し、500万人以上の雇用を創出しています。日本最大の自動車産業が68兆円程度ですから、外食・旅行産業というのは紛れもなく日本を支える基幹産業だということがわかります。ちなみに以下のサイトは業界規模を視覚的に把握できるので重宝しています。

殊、外食産業に関しては、人件費の高騰が利益を圧迫させているとコロナ以前から指摘されてきた経緯もあるので、売上を失って尚雇用を維持し続けることが大きなチャレンジになることは間違いありません。これだけ多くの人が失業の不安に直面しているという事実は、多くの人の想像を超えたものであるように思います。

無償労働での代替による雇用の消失

とはいえ人がご飯を食べなくなるわけではないのにも関わらず25兆円相当のGDPが吹き飛ぶというのは、何か違和感があります。このからくりの裏には無償労働の増加が存在しています。

自粛生活を遵守し、今までお金を払って楽しんでいた外食を、家庭内調理という無償労働へ置換することによる社会的帰結は、大多数の国民の貯蓄の増大と、関連産業の雇用の消失と予測されます。

自粛警察の正義に根差した残酷な私刑

これを念頭に置けば、コロナ禍でも給料が一円もさがらず、雇用がある程度保証されている人たちが、自粛警察となって営業下の飲食店を批判することの社会的な残酷さが露呈されます。そして外食・旅行産業だけでも、このリスクにさらされている人が500万人にも上るのです。

無論、医療従事者の置かれている環境を考えれば、現状での自粛は徹底的に行うべきでしょう。但し、それを唯一の正義と信じた国民が、SNS上での批判・公開処刑を含めた過度な制裁を加えていくのは、日本固有の同調圧力に根差した恥ずべき文化だと思います。

悪意なき残酷さは想像力の欠如に起因しており、悪意がないからこそ行き過ぎた私刑が行われてしまうのです。イエスの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」ではないですが、一度落ち着いて想像を広げて欲しいものです。

完全に脱線しましたが、雇用のリスクは一般的な想像を超えるという話でした。

出口戦略の欠如は基幹産業の不可逆的な衰退を招く

雇用に与える影響に加えて、そもそも企業の存続のリスクというのも適切に評価しなければなりません。

大手外食チェーンにおいても現金資産は大体月商の2ヶ月分もあればいい方で、以下のサイトにまとまっていますが例えばワタミは1.3ヶ月分くらいです。これを考えれば今回の緊急事態宣言の1ヶ月弱の延長が与える財務健全性への影響は甚大です。

大手チェーンですらこの状況なのですから、個人の飲食店はより大きな影響を受けるでしょう。固定費の支払いに耐え切れず休業ではなく廃業という経営判断に至った場合、それは不可逆的な外食産業の衰退へとつながります。

財務基盤の弱い個人店等が淘汰されていけば、日本が世界に誇る多様性は失われ、大手チェーンのみが生存する画一的な外食産業という悲しい未来につながりかねません。世界一とも称される食文化の衰退は、長期的に見て日本の国益につながらないでしょう。

出口戦略に一石を投じた大阪モデル

このように自粛期間の延長がもたらす影響は甚大で、出口戦略が渇望されているというのが現状です。どんだけ前置きで語っているんだという感じですが。

大阪モデルでは出口戦略として、経済活動の維持と新型コロナウイルス感染拡大防止を両立させるために達成すべき目標の可視化を試みています。そもそも毎日メディアが報道しているのは"新規陽性者数"がメインですが、これの増減に一喜一憂していても出口は見えてこないと多くの市民が気づき始めた頃だと思います。

そんな中で、「自粛要請は何を目指していて、どこまでの感染状況であれば許容できるのか」を明示する試みは、経営・雇用に関する不安に寄り添おうとしている吉村知事の優しさが感じられ、国にもより明確な出口戦略を要求する強さを兼ね備えた、素晴らしいリーダーだなと思います。それに対して不快感を露わにして"勘違い"と一蹴する大臣の行動に幻滅した人も少なくないでしょう。

大阪モデルの数値基準の妥当性

さて漸く本題の指標の妥当性に入っていきます。これについて語れと言われましたが、僕の興味は他のところに向いてしまった結果がこれまでの文章です。もはやどこがメインパートなのかわかりません。

さて、発表された数値目標は以下の3つでした。

① 感染経路が不明な新規感染者数が10人未満

② PCR検査陽性率が7%未満

③ 重症患者の病床使用率が60%未満

ここから「医療崩壊を防げる範囲内での感染拡大は許容する」という方針が読み取れますが、それに対しての数値基準としての必要十分性を考察したいと思います。

まず③の病床使用率については医療崩壊という曖昧な概念を定量化していまます。医療現場がひっ迫しているという状況がどれだけ改善されているかを可視化する素晴らしい試みだと思います。今後の報道で、大阪府のみならず医療現場の情報がもう少し入ってくるといいなと思います。

本来的には病床使用率が基準を満たしていれば、医療崩壊を防ぐという目的は達成されているといえますが、新規感染者数の増大から生まれる患者の再生産は、将来的な重症者を増加させる医療崩壊のリスク要因です。③が定点的な情報であるのに対して、①感染者数と②陽性率は速度・加速度的な情報で、将来の病床使用率の増大を防ぐ意味があると思います。

数値目標として①感染者数のみを設定した場合、不十分な検査数によって基準が満たされてしまう危険性がありますが、一般的に検査数を絞ることは陽性率の増加につながりますから、検査数の低下の抑止力として②陽性率が働いているといえます。

このように3つの基準はある程度、医療崩壊を継続的に防ぐための必要十分条件といえるのではないかと考えています。少なくとも「GWに東京の新規感染者数が激減したものの、検査数が少ないだけの可能性があるから油断するな」という、混乱しか生まない謎のメッセージを配信し続けるよりはよっぽど健全です。

もちろん将来的に「重症化率は思っていたほど高くない」などの新しい事実が判明してくれば、陽性率が10%を超えても医療崩壊を防ぐシナリオをたてることは可能でしょう。ただ現段階では諸外国等のデータをもとにこの数値を設定しているのだと思いますし、あえて楽観的な目標を出す必要もないのかなと思います。

おわりに

あらゆる政策は専門家を含めた熟考の産物であり、自分が外野からとやかくいえることではないでしょう。それでも、自分でも考えてみることで、今まで考えられていなかった様々な人の苦悩や不安が少しながら想像されました。

今の僕ができることはほとんどないですが、10万円の給付金の使用先でもゆっくりと考えようと思います。

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