『歩く花』
1985年 冬 21歳
1985年はディスコブームの最盛期だったが苦学生の私には別世界で
カローラを乗り回す同級生を横目に新聞配達のアルバイト
ただ、夕暮れを噛むような鬱屈とした暮らしではあったが
貧乏ながら平凡ながら丁寧な暮らしを心掛ける
生きる喜びのコツを掴み始めていた
12月22日、THE BIKEが渋谷屋根裏で解散した
THE BIKEは大学の友達のバイト先の先輩がやってるバンド(つまり何の縁もない)だった
丁度、大した趣味もなかったし、恋人もいなかった”付き合いで観に行ってやろうか”が
気付いた頃には私はすっかりと脱歌謡曲させられていた
モッズは最高である
そんなバンドが解散する、使い古された言葉だがまさに心にぽっかり穴が空いたような気分
最後の曲が終わり演者が去った、暫くホールで余韻に浸っていたかったが
帰って朝刊配りに備えて寝なきゃとエントランスへと向かう
ビラを配ってる女性
「ブルーハーツです、明後日ライブやります」
手渡されたビラをくしゃっとポケットに詰め込んで足早に帰る
生きる喜びのコツなんてバカらしいと思う人生が始まった瞬間だった
2023年 春 58歳
リンゴを剥きながら嬉しそうに
「ねぇ、走馬灯って楽しかった事や美味しかった物を思い出すのかな?」
能天気な妻に冷静に対応するのが私の役目
『そんな都合良いチョイスばかりじゃないよ』
付き合って初めてのデートは2月なのに20度超えの暖かい日
緊張と暑さでセーターの中は汗だく、それを見て笑っていた
初めての旅行は奥日光、トンボを捕まえようとする妻の帽子にトンボが止まっていた
伊豆のリゾートバイトも一緒にした、それから毎年入田浜に行くようになった
何処へ行くのも一緒だった、走馬灯なんてなくとも思い出せる
感情が封を切ったように溢れ出しそうになる
そんな私に気付いたのか
「瑞々しくて美味しそうよ」
そう言うとリンゴを差し出してきて、これでは私の方が病人みたいじゃないか
ステージIVの膵臓癌が見つかった際も動揺する私とは対照的に
「コロナウイルスには罹らなかったのにねぇ」
とあっけらかんとしていた
ここ1~2ヶ月はブルーハーツをよく聴いた
思えば[歩く花]や[夕暮れ]が好きだったのは妻の性格をよく表してる
かく言う私も[月の爆撃機]、[世界のまん中]が好きとは何とも自分らしい
あっという間だった、本当にあっという間
私に苦労を掛けないようにか、春をまたぐ事なく余命よりずっと早く逝ってしまった
思い返しても何もしてやれなかった、与えてもらってばかり
最期まで自分の事より私の心配をしていた
なのに病気にさえ気付いてやれなかった
歳取って落ち着いたらやりたい事、行きたい場所、いっぱいあった
今は何もない、もう何もなくなった
いい歳した大人がこんなに顔をぐしゃぐしゃに泣いているのに
笑ってくれる相手がいない
妻は走馬灯を見れたのだろうか、微笑んでるように逝ってしまった
でも本当に走馬灯なんてなくても全部思い出せるんだ
「結婚記念日も忘れちゃってたのに?」
って皮肉の一言でも聞こえてきそうなのでこうやってnoteに書き綴った
貴方に教えてもらったバンドの貴方の好きだった歌を聴きながら