アンダーカヴァー
ジェームズ・グレイ監督
邦題は潜入捜査を意味しているらしい。
ちなみに原題は『We own the night』
あらゆる意味を想像できて面白いタイトルだ…
最近マーク・ウォルバーグ作品を観漁っていて出会った本作。
思い返すたびに「好きだな〜」と感じてまして
「なぜ」の部分を吐き出させていただきます。
まずはあらすじ。
舞台は1988年のアメリカ、ニューヨーク。
ロシアンマフィアが取り仕切るナイトクラブで働くボビー(ホアキン・フェニックス)は恋人のアマダ(エヴァ・メンデス)とマリファナを吸いながら、兄であるジョセフ(マーク・ウォルバーグ)の昇進パーティーへ向かっていた。
家族の祝いごとであるにも関わらず浮かない表情のボビー。
なんでかって、だってジョセフと彼らの父、バート(ロバート・デュヴァル)は警察官だから。
しかも警部と所長なんて役職までついてるって言うんで、相反する道を選択した彼にとってその空間は居心地の良いものではなく…
足取り重く会場へ足を運んだら、
やっぱり、思った通り、案の定。
なんだかギクシャクした「久しぶり」が交わされた5秒後、ボビーは父とジョセフに人気のない教会へ連れて行かれ、こう告げられます。
「今度新しい麻薬特捜班ができて、ロシアン・マフィアを対象に取り締まりを行う。お目当ての奴がお前のクラブを拠点にしてるから、監視してくれないか?」
せっかくクラブのオーナーに気に入られて、マネージャーとして経営も上手くいってて、毎日はしゃいで楽しいのに、俺に「裏切れ」ってことかよ!
ってな感じで結局溝は埋まるどころか深まる一方。
嫌〜〜な感じのまま早々に退散します。
ただまぁ家族からの頼みごとなので、話は一応頭の中に入れておきます。アマダが例のお目当てのやつと親しげに話をしてたら「ちょっとあいつは気をつけとけよ」って忠告するくらいに。
そして、祝い事は続きます。
経営がうまくいっているので2号店を出す話が持ち上がり、なんとその支配人をボビーに任せたいというのです。
よっしゃ任せてくれ!
新しい店はマンハッタンに出そう!
そんでこんなコンセプトにするのはどうかな?
オーナーとあれこれ話し、ルンルンでクラブへ直行、そしてニコニコで相棒に報告。
フロアの仕切りはお前に頼みたいんだよ〜なんて言ってたら。
ドカドカとジョセフ含む、NY警察がクラブに入ってきます。
その場で何名か(ボビー含む)が署に連行されることが決定しますが、ホシは証拠不十分で挙げられず。
ヘラヘラするアイツを前に、「お前も覚悟しとけ」と啖呵を切ったジョセフ。
泣く泣くクラブを撤退します。
場面はNY警察署内に切り替わり、檻の中でムスッとするボビー。
まぁすぐ釈放されるのですが、もうブチギレ。めちゃくちゃにしやがって!と兄に掴みかかります。
どうやらジョセフはボビーが非番の日を狙ってガサ入れをしたようなのですが、運悪くその場に居合わせてしまったようで…
今回のことと関係ない話まで持ち出しちゃってお互い感情的になり、そのまま兄弟喧嘩に発展。「お前の顔なんて見たくない!」と2人の仲はますますます険悪になってしまいます。
嫌〜〜な感じのまま家路を目指すジョセフ(なんかデジャヴ)。
はぁ、とため息をついて車を降りたその瞬間。
覆面をつけた男が目の前に現れ、銃声が響きます。
あらすじ長いな。
たぶん、ここまでで30分強とかだと思います。
ポイントとなるのはやっぱり、"対照的な兄弟"の部分。
エリート警官の兄と裏社会で生きる弟、とパッケージでも謳われてます。
でもその割に、ほぼほぼスポットはボビーに当たっています。
あくまですべての事象は彼の目を通して語られる。
だからまず、もう少しジョセフから見た世界も覗かせて欲しかった、というのが個人の我儘な感想です。
まぁそれを差し引いても最高なんですけどね。
このふたり
じゃなかった、このふたり
ここではジョセフに重きを置いてお話してみようと思っているのですが、その前に彼らの父について話さなくてはなりません。
明確な描写はないですが、父ちゃんはグルジンスキー家(ボビーとジョセフのファミリーネームです)で絶対的な存在だったのではないかなぁと。
口癖は「働いてから遊べ」。
これを妻にも徹底させ、基本的な子供の世話や教育は任せた上で、自身は家庭の空気そのものを作り上げていた。
彼が子供たちに与えていたのは「愛」の形をした「過度な期待」で、「ノー」と言おうものなら失望される。
まだ世界の全てがお家の中に集約されている幼少期をそこで過ごすのって、過酷だと思います。少し前はそういうのも当たり前だったのかもしれないけれど。
ただ、もちろんそれは一側面に過ぎません。
朝鮮戦争の英雄で警察官。兄弟にとって父はきっと、ヒーローだったはずだから。
何だかんだ言いつつもボビー放っておけなかったり、必死で守ろうとしたり、単に兄贔屓ではなく然るべき時はジョセフを咎める姿からも、彼が確かに平等に愛情を与えようとしていたこと、厳格でありながら尊敬出来る父親であったことが窺い知れます。
そんなお家の長男として生まれたジョセフ。
作中「失読症を克服し、NY私立大学を次席で卒業して」というセリフがあるのでそこからもわかる通り、並々ならぬ努力を重ねてきたのだと思います。
失読症だと知った時、きっと絶望したでしょう。
それでも「期待に応えねば」という使命があった。いや、強迫観念と言った方がいいかもしれませんが…
父親という、自分の小さな世界の中ではひときわ大きな存在から「嫌われたくない」という気持ち。
その一心でいつしか「やりたいこと」と「やらねばならないこと」の境目は曖昧になって、そして「父の期待に応えること」を灯火に道を選択してきた彼はふと、虚しくなったのではないかと思うのです。
そのタイミングはいつだったんでしょうか。
弟が出来た時でしょうか。
ポツンと、ひとり、足場なんてないただの「空間」をプカプカ浮かんで、地球で生きる人たちを宇宙からぼんやり眺めているような感覚。
期待に応えたい。
自分に自信がない。
だから努力する。
がっかりさせないように頑張る。
自信をつけるために頑張る。
目的と手段がごちゃごちゃになったところで、「働いてから遊べ」が効いてくる。
努力をしたら成果が出るから、キャリアは立派になってゆく。
その結果がある。事実はある。
でも、それが「本当に自分に還元されない」。
際限がない…
地獄だったのではないかな。
大学を首席ではなく次席で卒業しているという事実もまた苦しい。
だってジョセフは絶対に、いちばんになるために必死だったはずなんだもの。
誰かひとりでも彼に、「君は君だから素敵なんだ」って、「君は君のものなんだよ」って、言ってあげて欲しかった。
なんかそんなことを思ってしまう。
それでもジョセフには、それが自分の選択だって言い切って生きてゆける強さがあるんだけどね…
とあるシーンで、真逆の道を選択して自分の人生を生きていた弟に、ジョセフは面と向かって「お前に嫉妬してた。俺は自信がなくて親父の言いなりなのに、お前ときたら自由で…」とポツリと溢します。
きっとイライラしたし、謎の焦燥を感じていたのでしょう。
弟に置いて行かれるような、そんな感じが。
そして憎んでもいたでしょうし、
同時にあこがれてもいた。
なんて複雑な。
でもそれって、愛してる証拠だと思うんです。
どうでもいい相手に、こんないろんな矢印は向きません。
接し方がわからなかった、素直になれなかっただけで、きっと大切な存在だった。
これはボビーも同じですね。
支配的な父親に反逆し(これは自分で言ってます)、敢えて違う選択をした。
何かと兄と比較されてきたのでしょう。
それによって恥をかいたことも、悔しい思いをしたこともあったでしょう。
だからこそ彼の行動は、ボビーなりの抵抗だった。
父の言いなりなんてかっこ悪い(と思うことにしたんでしょうねぇ)、でも本当にやり遂げてしまうなんてすごい。
羨ましい、でも心が追いつかない。
そして、後ろめたい。
逃げてごめん。ひとりにさせてしまって申し訳ない。
あーーーーーーーーーーーーーーーーもうなんなのよあんたたち!!!!!!!!
彼らが同じ悲しみを共有するような、ある出来事があって…
ボビーが泣きじゃくりながらジョセフに近づくんです。
で、それをぎこちなく受け止めて抱き締めるんですけど、その時ボビーはジョセフに「ひとりは嫌だ」って言うんですよ。
それに対してジョセフは「俺がいる」って。
これだけでもピェ…なのに、その言葉がやりとりされてる時に映し出されるのがアマダなんです。
爆散!!!!!!!!!!!!
もう色々深読みしてしまう。
歩み寄って行ったのがボビーなのも、「ひとりは嫌だ」って言葉を選んだことも。兄であるジョセフのプライドが傷つかないようになのかなぁとか。なんなんだよ本当に…
そこで写ってるのがアマダなんだもん。もうこの先の人生、アマダではなく兄を選択するってことがここでわかりますよね。
変な意味じゃないし、別にそういう要素は一切ないんだけど、この言葉が適切だと思う。色んな選択のお話ですし。
そしてラストシーン。このセリフで終わるのか…………………ってなります。
この最後のためにあるんだよこの映画は。
気になった方はぜひ観てください。
この画像いっぱい出てくるけど、こんなシーンはないので注意してね(^ ^)
では、また。
[Wikiはこちら]
[Blue-rayを出してくれないか?]
”We own the night” 2022.11.8
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