永田敬介「散歩喋り」についての古いメモ
昨年秋頃に別の場所にメモ書きしていたものを掘り返して集めてみました。
散歩喋り1
初回の散歩喋りは、2022年にコーツがM-1の一回戦で落ちた直後に収録されたもの。これを書いているのは2023年10月。2023年の9月20日にコーツは一回戦を1位通過したところだったので、図らずも、このタイミングで、初回の散歩喋りを見たことで、一年間、永田さんが過ごしてきた時間の流れに思いを馳せることになりました。
永田さんの人生で、一回戦で落ちた、手応えがあったのに落ちたというのが、初めての経験だったという話は他のところでもされていましたが、やっぱり、一人語りをイヤホンで聴いていると、永田さんの喋る言葉が、ストレートに胸に刺さってくるような気がします。永田さんは淡々と喋っているのに、聞いている私の感情は大きく揺さぶられます。
聞いていて、救いだなと感じたのは、今まで一回戦落ちする芸人をプロの芸人として有り得ないことだと罵倒してきた過去の自分を否定しなかったところでした。自らの罵倒の言葉がブーメランのように自分にグサリと刺さるはずなのに、その痛みを真っ直ぐに受け止め、自分も馬鹿だけれども、それでも、一回戦落ちする奴らを馬鹿だと言うのはやめないと言います。傷だらけになりながらも、目の光は失わず、そこに裸で仁王立ちになる永田さんの姿が目に浮かぶようだなと思いました。その誇り高さがとても美しいと思います。
散歩喋り#3
第3回は打って変わって、町の風景を見ながら、たくさんの話をしてくれる内容でした。喋ることを職業とするプロの方だから、肩の力を抜いて、普通に喋っているようでも、やっぱり面白いのです。観察眼の鋭さ。独自の視点。おかしみを感じさせる理屈っぽさ。そして、言葉選びや喩えの巧みさなどにハッとさせられます。楽しい気持ちにさせられ時間があっという間に経ちます。
・焼肉屋の看板の牛の焼き方が拷問
・ドラマチックな階段。階段が良い町。
・おじいちゃんの家に続く階段
・名誉なガードレール
・電柱地中化の看板。驚く親子、母の思い出の電柱なのか。
・伝説でもなんでもない木や水溜りに祈りを捧げる人たち
・リサイクルの標語。忘れ物「蘇らせる」前に「思い出す」だろ。
・お前みたいな理屈屋はこの街にはいらんと言われて階段から突き落とされる。
・自販機の青が綺麗。銀行の看板も。
・俺の唯一人間らしいところ。ニンニクが好き。生命のエネルギー。
・店内覗き見大歓迎の看板に「もちろん女性限定」の但し書きがいい。男性お断りと違って、ずっこけられる。
・飛び出し注意の看板
・パイプおじさんの看板
・緑に侵食された白
・コインランドリーに「世界一周旅行当たる」のポスターが貼ってある。
・ドラえもんのいす、顔がないドラえもん、でもかわいい。
・ルーキーカード。出世しちゃったら手放せないよ。
・豊島区民ホール、初舞台の思い出
・ライブ「怒り」について
・ナンジャタウンの壁が良い。よく来ていた思い出。餃子に支配されている。
なんてことないような話題ばかりだけれども、それがとても良く良くて、ずっと聞いていたい気持ちになりました。
散歩喋り61
イヤホンで音声だけ聴きながら帰宅していた時に書いたメモ。映像が見られてないので、音の感想のみです。
最近の散歩喋り、ファンとしては、擬似的に永田さんとふたりの時間を過ごせるような、そんな近さがあるように思います。自分の話は、ほとんどされないけれど、だからこそ、逆に、プライベートに近い永田さんを見せられているような形になっているような気もします。
それは、漫談とはまた違った形で、永田さんが演じる「永田さん」で、永田さん本人を剥き出しにしながらも、これもまた、永田さん自身というよりは、見せられている像なのでしょう。そして、見ている私は、虚実の間を漂う楽しさに身を浸すのです。
はじめの頃の散歩喋りでは、かなりのボリュームで自分の話をされていますが、この場合、ラジオと同じように、たくさんの視聴者に向き合う、一対多のパブリックな永田さんのイメージがあります。これに対して、今の散歩喋りは、一対一のイメージがあるので、ラジオやネタとの、面白い棲み分けがされているような気もしてきます。
ラジオでは、時間に制約があり、もうちょっと聞きたかったなと思う話も多いので、散歩喋りで、思う存分、自分の話をしてくださったら嬉しいのにな、という気持ちもあります。永田さんのこと、もっともっと知りたいから。
でも、今の散歩喋りのスタイルも好きです。
たとえば、自分の話をしかけてやめるのって、あまりにリアルすぎる。そんな永田さんの話に耳を傾けながら「言いたくないのね」と静かに受けとめるような感じ。黙って並んで歩いて、体温と息づかいを感じているような感じ。そんな妄想をひととき楽しませてくれるコンテンツになっているんじゃないかなと、この61回目の散歩喋りを聴いて思いました。
散歩喋り67
新宿散歩。永田さんの日常のひとコマを見せていただいているような映像でした。都会の散歩は、「床」(永田さんは「地面」を「床」と言うのです。これもなんか好き。)が多いので、永田さん自身に関する話がたくさん聞けるのが嬉しいです。
おしゃれな暮らしやライフハックを誇示する意識高めな俺とも無縁だし、「自然体を誇示する不自然」とも無縁な、作為のない真の自然体のVlogを見ている感じ。ブログやnoteはされていないので、こういう普段の永田さんを感じられるコンテンツは貴重だなと思います。
これは、ブログやnoteをやってほしいということではなく、他の方なら、ブログやnoteでファンに対して見せてくれているものを、永田さんは、ご自身が好きな「喋り」という手段で、ファンに対して、気が向いたら、見せてくださっているんだなということです。
今回の散歩喋りの中でも「俺が楽しくなかったらダメだと思うから」と仰っていました。そうですよ、そうですよ、と思って、とても安心した気持ちになりました。永田さんが楽しいのがまず一番大事です。だって、無報酬でやっていることなんですから。
サムネの選択が素敵。「LOVEを裏から見る」って写真作品のモチーフとして面白いと感じます。
色への感性が好きです。三角コーンの色。地下通路で見かけた装飾の青。「この色の飴があったら買いますね」っていうのが、とても好きだなと思いました。わかるし、好きなものをそんな風に表現できる永田さんが好きだなと思います。そういえば、散歩喋り62で、クリームソーダも青を選んでましたね。
アルファベットの「K」が非効率であるという気づき。こんなの私、一生思いつかない。永田さんのこういう感性、とても素敵です。