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HANAのデビュー動画から、No No Girlsの3人が選ばれなかった理由を考察する。そして、時間が経ってじわじわと刺さって来たメンバーのこと。
HANAのデビュー動画が上がってから、私の中で、HANAというプロジェクトの解像度がぐんと上がった。それと同時に、最終審査でココ、ココナ、フミノが選ばれなかった理由はおそらくこういうことだろうと想像がついた。
HANAのデビュー動画を観てまず思ったのは、ちゃんみなはプロデューサーといっても、監督的な立場ではなく、あくまでアーティストとしてこのプロジェクトに携わっていくつもりなんだな、ということだった。
この映像は、ひいてはHANAというグループは、
「美しいって何だろう?」
ということを、世に問う作品となっている、と思う。
ちゃんみながアリーナで「美人」を歌ったのは、チカの名前を最初に呼んだのは、チカを逃した人に「ありがとう」と伝えたのは、つまりそういうことだったのではないだろうか。
ちゃんみなは、若くしてデビューして、容姿でバッシングされながらも芸能界で成功を収めて、その過程で、人一倍「美しい」ということについて考えてきたのではないかと思う。
美しい見た目とは、美しい心の持ちようとは、美しい在り方とは…。
HANAのメンバーはその一人一人がちゃんみなの思う「美しさ」を体現する存在で、それぞれがリトルちゃんみなみたいな存在で、ちゃんみながアーティストとして描きたかった世界の1パーツを担っているように私には思えた。
この映像には「センター」がいない。
商業的な観点から誰かを配置しているということがない。
まるで一人一人が作品なんです、と言わんばかりだ。
そしてもう一つ思ったのは、映像って残酷だな、ということだった。
HANAでないと埋もれていた個性は、確かにある。
この映像でないと絵にするのが難しい美しさってある、そう思った。
要するに私は、この映像をみて、商売としての芸能界でルックスが消費されていくのは当然だ、と思ったのだ。
でもHANAは違う。
これは、そういうものじゃないところを売り物にしようという、いわば挑戦だ。
このプロジェクト自体が、ちゃんみなから世界に対する、挑戦状なのだと思った。
他のオーディションで価値を見出されなくたっていい。
美人じゃなくたっていい。
スタイルが良くなくたっていい。
そもそもみんなが求めるような完成形はハナから求めていない。
それでもそれが本物であれば、ちゃんとそこには価値があるんだってこと、誰かの心を動かすんだってことを、認めさせてみせる。
そういうメッセージを私はこの映像から受け取った。
***
翻ってなぜあの3人が選ばれなかったのか、ということについて考察する。
まずココ。
私は、ココのステージは素晴らしかったと思う。
ちゃんみなが言っていたように、ココのダリアは本当に美しかった。
でもそれは、ココの表現したいものを表現し切ったという意味での美しさであって、ココが表現しようとしていたもの、あるいは結果的に表現したものそれ自体は、ちゃんみなの思う、そしてちゃんみなが世に問いたいと思っている「美しさ」ではなかったのではないかと思う。
ココはずっと、どこか苦しそうだったような気がする。
「私を認めてよ!」
それがココの表現で、それを伝えることがアーティストとしての真のゴールになってはいけない、とちゃんみなは思っていたのではないだろうか。
次にココナ。
私は、ココナの人柄に対して好感を持っていた。
ガッツがあるところが一生懸命で可愛いな、と思っていた。
芸能界で選ばれるためには個性を出さなければ、という気持ちもあったのだろうし、そもそもココナという人間が自分の個性を発揮して活動をしたいと考えているタイプの気もする。
ただ、客観的に見ると、個性の表現としての完成度が弱く、どこか迷走しているような感じがしてしまう。
そこには世に何かを問うような強度がない、という判断だと思った。
最後にフミノ。
私はフミノについては、No No Girlsの中でソロ活動をしたら一番売れそうだな、と思っている。
それだけ個としての存在感があるし、アーティスト性もあるし、あとすごく気が強そうだ(良い意味で)。
ただフミノの声質はラップなどを多用するNo No Girlsの楽曲にあまり合っていなかったし、それに対して一人でピアノを弾きながら歌っている姿が素晴らしすぎたから、単純に適材適所の問題ではあると思う。
あとフミノはアーティストとしての個性が強くて(良い意味で)、個性がざらついているというか、誰かの下で何かを表現するという質ではないような感じがする。
あとちゃんみな自身も、フミノの魅力を自分の表現として取り入れることが難しかったのではないか、と思う。
***
それはさておき、No No Girlsの最終審査を何度も見ていたら、だんだんモモカのことがすごく気になってきた。
正直、最初はモモカに対してあまり興味を持てていなかった。
アイドルオーディションで惜しかったのを引きずっている子、というイメージで、デビューできれば何でも良いのかな?などと思っていた。
でもだんだん、モモカという存在は実は一番多くの人に寄り添ってくれる存在なのではないか、という気がしてきた。
どんな世界でも成功を掴むのは一握りの人だから、多くの人は誰かの成功の陰で泣く経験があるし、それがもう少しで掴めそうだった夢、ということになれば、苦しさはひとしおで。いずれにせよ花が咲かなかった時代、というのは、ほとんどの人が経験することだと思う。
同じように中々デビューを掴めず苦労したメンバーとしてチカやジスもいるし、それは皆そうなのかもしれないけれど、モモカには他のメンバーにはないドス黒いサムシングがあるような気がする。
それは性格が悪いとかそういうことではなくて、単純に人間臭さというか、良い意味で、普通。
上手くいかなかった時、チカはシンプルに自分を責めてしまいそうで、ジスは落ち込んでしまいそうで、でもモモカは腹の底から悔しい!!って叫んでいるようなそんな感じ。
歳を取れば取るほど、どうしようもないことは多くて、どうしようもない感情を抱えながらもがきながら生きているのが人間だったりもするから、
そういうモモカがそれでも諦めずに美しさを目指して踏ん張って立っていてくれるのは、そういう多くの人間に対して勇気を与えうるし、救いにもなるような気がする。
そんなモモカのステージの後に、若さの美しさが弾けるマヒナのステージを置いたのは、もはや故意なのではないかと思った。
少なくとも、逆の順番にするのは酷だ。
モモカに興味を持ってから日プのオーディションを見ていたけれど、No No Girlsではビジュアルの良さが際立っていたモモカが、その面では完全に埋もれていて、改めて普通の芸能の世界はルッキズムが強いよなと思うなどした。
あそこでチカがデビューする姿は想像がつかない。
余談だけど、日プについては、そのコンセプトにあまり興味が持てていなかったけれど、モモカ見たさに見ていたら、笠原桃奈の素晴らしさにハマった。
なんという人柄の良さ!歌やダンスはもちろん1分スピーチも面白いし、心ちゃんとの友情にも心打たれた。
全般的に、日プでデビューした人たちは色んな意味で強い。
あと、日プをはじめ他のオーディションでは、厳しくすることで教育するような節があるけれど、ちゃんみなやSKY-HIの指導はそういう厳しさが全然ないんだよな、とも思った。
そういう指導じゃなくても人はちゃんと育つよ、というちゃんみなの優しさがそこにはあるような気がする。
ちゃんみなのそういうところもまた素敵だと思う。
No No Girlsを通じて、私はちゃんみなの魅力の虜になっている。
ちなみに最近言及してないけど、ジスのことは今でも推しです。
インタビューをみたら信じられないくらい日本語が上手くなっているし、しかもコメントがどれも味わくて(外国語なのに…!)、本当に賢い人なんだなって思っている。
思考の深さみたいなものを一番感じるのがジスで、それでいて素直で心の綺麗なジスが大好きだよ!