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「理想と現実のギャップが大きい」

それがIT業界のリアルです
そもそも、私がITという分野に出会ったのは、小学校のときにパソコンに触れてプログラミングを知ったときです。

大卒後は一身上の都合でIT業界とは別の業種に就職しましたが、「ITやプログラミングに携わりたい」といった昔の夢を忘れられませんでした。2000年ごろに地元の山梨県甲府市にあるシステム会社へ就職した次第です。

就職後は、プログラミング技術やシステムの作り方、顧客との関係構築の方法など、さまざまな経験を通じてスキルを身につけられ、成長を感じられる日々でした。一方で、IT業界の理想と現実のギャップを知ることになったのも、会社員として働いていたときです。

IT業界と言うと、世間的には「華やかでスタイリッシュな仕事」「カフェやおしゃれな空間でパソコン一台でできる仕事」と思う方も多くいるかもしれません。

しかし、実際は残業や休日出勤、出張が当たり前。繁忙期になると、妻が目覚める前に家を出て、家族が眠ったあとに帰宅するといった生活が日常茶飯事でした。とにかく、「仕事!仕事!仕事!」と、サラリーマンとして奮闘していたことを記憶しています。

出張によって、多いときには1ヶ月の半分をビジネスホテルで過ごす時期もありました。食生活が乱れ、体重の増加や体調不良が目立つようになりました。

私自身の生活リズムに関しては自分で我慢すれば問題なかったものの、大きなターニングポイントになったのが「東日本大震災」のときです。

その日は、金曜日でした。出張先から山梨県にある自宅に帰るのを楽しみに仕事を頑張っていたところ、大きな揺れに見舞われました。作業をしていたオフィスから避難し、震源地を確認すると東北で大きな地震があったことを知りました。

家族が心配で連絡しましたが、「まったく連絡が通じない」。その上、「高速道路が通行禁止」になっている状況。下道で帰る方法を考えたものの、「交通網が麻痺している」かつ「迂回ルートは危険性が高い」ため、ビジネスホテルで「待つ」という選択肢しかありませんでした。

「身重の妻が家に一人でいるのに何もできない」

家族から連絡がきていないかと、やきもきしながら停電したビジネスホテルの一室でスマートフォンとにらめっこしていた記憶が今でも脳裏にあります。

翌日には、停電が復旧するほか、高速道路が通行できるというニュースを受けて、車を飛ばして帰路につきました。2時間かけて家に到着すると、私のことを心配していた妻が泣きながら抱きついてきました。

このときに、「無事でよかった」という安堵と、「心配させてしまった…」といった申し訳ない気持ちに包まれました。同時に、「いざというときに家族のもとへ駆けつけられない」自分の状況に腹立たしさを感じたのを今でも覚えています。

「家族のために仕事をしているのに、いざというときに守れないのでは意味がない」

何かあったときに「すぐに駆けつけられる距離で仕事をしたい」という思いから、独立・開業しました。

この経験から、現在代表を勤める会社では「従業員が19時に帰って家族と食卓を囲める環境」を整えています。

山梨シリコンバレープロジェクトでは、働く環境が過酷になりやすいIT技術者をさまざまな角度からサポートし、仕事に取り組む基盤づくりを進めていきます。

「家族や大切な人を悲しい思いにさせたくない」という思いから、「一人でも多くのIT技術者の働く環境を改善すること」が私が達成したいビジョンです。