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プロローグ/夜のない星

 彼女の視神経について書こうとしている。羞明と呼ばれる症状だ。光に極度に反応して、些細な光量であっても眩しく感じる。彼女の症状はその最たるもので、夜であっても眩しいという。夜を見たことがないという。
 鳴宮聡子。
 彼女が知っているのは、光と色が混沌とした夜だ。雷鳴、そして驟雨——網膜にできた夥しい光の傷が、彼女の視界に降りそそいでいる。
「笑い話があるんだけど」と彼女は、路地裏で燻っている焼死体のまわりに散乱したチョコレート菓子を手にする。「人造人間の娘がある男に恋をしたの」と話す。
 蛍光塗料のような夜だ。
 濡れたアスファルトには、雑居ビルに誘う店舗看板の電球が点滅している。彼女がいるのは六日六晩続いた嵐の最終日みたいな路地裏で、「だれもが自分を年寄りだと思っている」と言う。「十年後、二十年後になって気づく。あの頃の自分は若かったって」
 彼女が手にしたのは、世界的に有名なチョコレート菓子だ。黄色。
〈m〉の文字が刻印された表面を見つめ、「これって何の略?」とたずねる。
 鑑識係の涅槃くんが振り返る。
「人の名前」と呟く。「マースとムリー」
「マーダーかしら?」
 彼女は全身ずぶ濡れで、透けたブラウスに下着の線が浮かび上がっている。溶けないチョコレート菓子は、戦場の兵士のために生まれた。背徳と甘美の一粒。
「マッドかも」と彼女は言う。「とにかくそこに意味がある気がするの」
 彼女は黄色いチョコレート菓子を見つめ、涅槃くんは身元不明の焼死体に視線を戻す。
「やがて男も娘を愛するようになった」と彼女は話を続ける。
 二人の姿は、町のいたるところで目撃された。ドライブしたり、公園のスワンボートで愛を育んだ。
「ついに結ばれる夜になってね」
 娘は愛おしい男のシンボルを指でなぞった。
「それがおかしいんだけど、人造人間の娘がなんて言ったと思う?」と彼女は笑いを噛み殺して言う。「ゴムをしてね、って言ったの」

(797文字)


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