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掌編小説/最後のおしゃべり

 二人は公園のベンチに座り、老人が話し終えるまで、もうひとりの老人は黙っていた。
 二人は帽子をかぶり、厚手のコートを羽織っていた。帽子もコートも仕立てがよく、買った当初は高級品だったのかもしれないが、いまではくたびれ、ところどころに虫喰いの跡があった。
「それにしても」ともうひとりの老人が言った。「人ひとりの人生ともなれば、すごい量だな」
 ダンボールのなかには、さまざまな紙の束が積み重なっていた。黄色く変色したノートや便箋、原稿用紙だけでもひろげた掌の小指から親指までの厚みがあった。そしてどの紙にもびっしりと文字が書き綴られていた。
「たったのこれだけさ」と老人は表情を崩さず言った。「わたしが産声をあげて、昨夜眠るまでの人生だ。わたしはそのすべてを書き記したつもりだが、忘れていることのほうが多いだろう。だから人生というより、記憶と呼んだほうが正しいかもしれない。人ひとりの記憶をすべて書き出したつもりだよ」
 木枯らしが吹き抜けていく。老人はあわてて帽子をおさえたが、もうひとりの老人の帽子がベンチの後ろに飛ばれていった。
「わたしが取って来るよ」と老人が言った。
 杖をついて、よぼよぼと帽子を取りに行く。
「ありがとう」と帽子を受けとって、しかしまたいつ吹くかわからない風をおそれて、もうひとりの老人は帽子を膝上に置いたままにした。
「だれもが苛立っている」
 二人はしばらく黙っていた。傍目から見れば、気絶しているような、となりにいる友人の存在さえ忘れているような有様だった。
「何が?」
「また戦争がはじまる」
 灰色に燻んだ二人の視線は、公園の池を泳ぐ野鳥に注がれていた。
「頼みがあるんだが」と老人は言った。「あれを見せてくれないか? 若いころ、きみがよくやっていたウォーレン・ベイティ」
「こんなときにかい?」
「こんなときだからさ。あれを見るとわたしは自分のためではなく、ほかのだれかのために泣くことができるんだ」
 そう言われて、もうひとりの老人は立ち上がった。藪から鳥が飛び立つ。まだ異変に気づいていない。いま気づく、と同時に無数の銃弾がウォーレンに襲いかかる。糸が切れたように倒れていく。地面に転がり、死んでなお銃弾を撃ちこまれる。銃声、さらに銃声——もうひとりの老人のからだが地面で痙攣する。
 老人は目頭の涙をぬぐった。「そろそろ帰ろう」
 公園の出口まで老人は杖をつき、もうひとりの老人はダンボールを担いで歩いた。
 夕暮れがせまり、二人の人生がいままさに別つときになって、「今日はどんな一日だった?」ともうひとりの老人はたずねた。
 別れ、ひとりになってようやく「最高の一日だった」と老人はこたえた。
 久しぶりに公園を散歩できたし、飛んだ帽子を追いかけるのも悪くなかった。友人と話せたし、彼のウォーレン・ベイティはいつ見ても傑作だった。最後のページにふさわしく、退屈しないおしゃべりは上出来だった。

(1200文字)


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