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僕には何もかもが無いけど、ありったけの言葉を費やしてあなたの世界を肯定することくらいはできるよ。

新生活が始まって、元号が変わって、5月になって、そちらのリズムはどうですか。順調に狂っていますか。ちゃんと希死念慮に駆られていますか。

「ありったけの言葉を費やしてあなたの世界を肯定することくらいはできるよ」なんて、自分の幸せひとつ築くことさえできないのに、一丁前なこと言ってんじゃねえって思うよな。だけど、僕にはそれっぽちのことしかできないんだ。僕は、どんなに歪なものでも、あなたが大切に思うコトやモノ、ヒト達のことを否定しない。あなたが何かを大切に思っていること自体が愛おしいから。
だから、僕は対話を通してあなたの世界を覗きたい。あなたがどんな言葉で世界を眺めているのか確認したい。

ってな感じの青臭いことを、本気で思ってる。きっと、根っからの夢想家なんだよ。自分でも引くくらい地に足がついてない。
知ってた?ドラえもんって常に3mmくらい浮いてんだよ。

ドラえもん繋がりで話を逸らすけど、僕は幼い頃から藤子・F・不二雄先生の作品が好きでさ、地元の市立図書館を梯子してドラえもんの単行本は全部読んだし、映画も全部観た。
大人になってからは異色SF短編も読むようになった。有名なところでいえば、『ミノタウロスの皿』なんかは傑作だよね。
簡単に概要を説明すると、主人公は宇宙飛行中に牛と人間の立場が逆転した星に迷い込むのだけど、そこでは人間が生贄に捧げられてしまうことになってる。牛が人間を喰らうんだ。
そんな星の習慣に怒った主人公はなんとか食い止めようとするんだけど、なにせ人間の側も生贄に捧げられてしまうことに対して肯定的な価値観を持っているから、結局願いは叶わず……、といった話。
つまり、立場が逆転したら価値観も変わるし、普段自分たちがやっていることは俯瞰してみれば残酷なことなんじゃないか、という示唆に富んだ作品なんだ。気になったらぜひ読んでみて欲しい。

話を元に戻すと、僕は自分の視ている世界を肯定する余裕はないけど、その分あなたが視ている世界を受け止める覚悟はある。どんな視点から、どんな切り口で世界を眺めているのか、興味があるからだ。


ただ、覚悟はあるけど、自信はない。

僕がいつも視ている世界より眩しくて目を瞑ってしまうかもしれないし、あなたの普段の振る舞いからは想像がつかないくらい残酷な景色が広がっていたら驚いて目を背けてしまうかもしれない。

でも、その世界にどんな言葉で寄り添えるか考えることは絶対に止めない。これが不器用なりの誠実だ。だから、本当にどうしたらいいかわからなくなったら、あなたの世界を僕に明け渡してくれ。明け渡されたら覗き込むくらいの好奇心はある。明け渡されたら蔑ろにしないくらいの良心もある。

ここまで読んで「あなた」って誰のこと?と思ったあなた。あなたはあなただよ。自分がそうだと思ったら、そう思ってくれていい。

あなたがひとりぼっちになった日には、一緒にひとりぼっちになろう。こんなことを言えるくらいに僕は能天気ではあるから、きっと一緒にいるうちに色んなことがどうでも良くなってくるよ。そうしたら、すこしは気が楽になるはずだ。

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