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地方の公立高校から京大に行って就活で失敗した話

私は小さい頃から勉強が得意だった。

元々真面目な性格なので宿題も欠かさずやったし、中学では定期テストはほとんど満点が取れるまで勉強した。

田舎の公立小学校中学校を卒業して、県内で2番目の、文武両道がモットーの公立高校に進学した後も部活をしながら勉強は欠かさなかった。

そうしてるうちに、高校3年生になる頃には「期待のエース」になっていた。

地元の塾の料金は無料になったし、模試が返ってきたら予備校の営業の人に褒められて、進路面談は5分で終わった。

そんなこんなで、順当に私は京都大学に合格した。

とはいえ、合格した時はそれまでの人生で1番嬉しかったし、号泣した。

自分がずっと頑張ってきたことが本当に認められた気がした。

よくこういうタイプにありがちなのが、所謂燃え尽き症候群で、大学に入った途端目的が無くなって落ちこぼれていくことだ。

例に漏れず、私もそれに近い大学生になった。

授業もサボり始めたし、毎日バイトばかりした。

それでも自分の人生はうまくいってると思っていた。

周りの友人や先輩の話が面白かったから。

周りはやっぱり賢かったし、自分の研究に誇りを持っていて、勉強することが大好きだった。

賢い人ってこんなに面白い話をするんだなあ、こんな考え方をするんだなあ、と話をしたり時には議論をしたりするのが楽しかった。

賢い人になりたくて、自分も賢い人のように喋った。自分の研究も(ほぼテスト前だけだったけど)真剣にやった。

でも私は賢い人には多分なれなかった。

元々目的もゴールもなかったから、賢いフリをした面白い人になりたい京大生になった。

そのことにやっと気づいたのは就活の時だった。

私は「京大生」だもん!というものすごいプライドと自信を持って挑んだ就活がなかなか上手くいかなかった。

企業が求める賢い京大生に私はなれなかったから。

そこで初めて、間違ったな、と思った。


それから私は、バイトの経験という京大生らしか無い経験を生かしてそこそこの会社に入った。


でも多分、私はまだ「元京大生」のレッテルを捨てられていない。

だってずっとあんなに頑張ったんだもん、あんなにすごい人たちと一緒に過ごしたんだもん、簡単に捨てられる訳がない。

過去の栄光に縋るのはダサいけど、でも過去に縋らないと私普通の人になっちゃうんだもん。

ずっと優等生で一目置かれる存在だったんだもん。

私は学のある人たちと一緒に過ごしたんだもん。

多分学歴コンプって意外とこういう人が1番感じてるのかもしれない。

立派な学歴に対する自分へのコンプレックス。

まとまりのない話だし何の教訓もないけど。

とはいえ、全く京大に入ったことを後悔してる訳ではない。あんな刺激的な人たちに出会えるのはそうそう無いと思う。

また出た、悪い癖。


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