レイルロードのライトグレー 2
10代後半から20代前半にかけて愛用したレイルロードの灰色のソックスを、ある時を境に買わなくなった。同じものを永く使ったり買い続けるのにはそれなりの理由がある。だから、それをやめてしまう時はやはり、相応のなにかがある。
そのソックスは、永遠にその姿を変えずにいるものだとばかり思っていた。そりゃあ100年前から比べたら素材もパッケージも変わったのだろうけれど、いま履いているちょっとネイキッドな造りやルーズなフォルムはきっとこのまま続く。勝手にそう信じていた。
だから、半年だか1年ぶりくらいに買い替えようと手に取ったそれが、僕の勝手な期待とは裏腹に「アップデート」されていたのはまったくの想定外であった。なんと履き口に、高さ1センチほどの「リブ」が誕生していた。ゆるさに価値があったあの華奢な履き口が、おそらく100回洗濯しようともびくともしないほどの厚みのあるリプで補強されている。
ちょっと待ってくれ。それではさすがに単なるスポーティーな靴下ではないか。リブがしっかりしていたら、ゆるく履きたくとも叶わない。となれば、そこに価値はない。僕が長年履き続けた意味は、そのリブがないことにこそ存在していたのだから。
慌てて他の店やネット通販などを探し回ってみたところで、どうやら販売元だか輸入元だかで商品を切り替えたらしく、もはやリブ付きしか手に入らないようだ。もう少し早く気付いていれば、あのゆるい旧商品を手元にストックしておくこともできただろうに。
それからの僕は手持ちのレイルロードを大事に大事に履いた、ということはなかった。それはちょうど20代後半に差し掛かる頃。レイルロードに合うアメカジを着る機会も減り、むしろそれとは逆の、スムースで高密度の細い糸で織られたソックスを、上質な革靴に合わせるようなスタイルを好むようになっていたからだ。クローゼットのレイルロードは登場機会を失っていき、やがて、しばらく履いていないゴムの伸びた古い靴下のひとつとして処分されていった。
たかがリブかもしれない。ほつれやすくクレームになるから、衣料品としての耐久性や品質といった面で改良を図ったのかもしれない。だが、そうやってモダナイズされることでむしろもっと大切なことを失ってしまう、そんな歴史を僕らはたくさん見てきたはずだ。それはもう、戻らないのだ。おそらく永遠に。そんな瞬間を目撃してしまったものだから、たかがリブが付いたこと以上の喪失感が僕に覆いかぶさっていた。
その陰鬱な不都合から目を逸らしたかったのだろう、僕はあれっきり、あの灰色のソックスから興味を失い、二度と振り向くことはなかった。
続く
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