レイルロードのライトグレー

 同じ路線を使う、近くの高校に通う女の子たち。彼女たちはソニプラあたりで見つけてきたであろう、リブの白いソックスをわざとたるませて履いていた。おそらくアメリカ製だろう。
 タータンチェックのトラッドなスカートはれっきとした制服だが、膝上まで短くして履いている。それに合わせる上着は自由なのだろう、ラルフローレンのポロシャツは襟を立て、バーガンディのローファー、そして肩にはラクロスの道具。その帰国子女のような独特の雰囲気は、僕ら男子から見てもアメカジ全盛期における正義であり、手本となるべきものだった。
 健やかさと朗らかさに満ちた笑顔。絶妙な長さで緩めに履いた白いソックス。彼女らも僕らもそれを「ルーズソックス」と呼んでいたが、あと数年のうちにその太さと長さがみるみるうちにエスカレートしていき、「世の中」からまったく別物の「ルーズソックス」と呼ばれ、後世にまで語り継がれる平成のカルチャーに繋がっていくだなんて彼女らも僕らも知る由もない。

 その気高く美しかった頃の、つまり太さも長さもソックスとしての常識の範囲内に収まっていたルーズソックスは、実は女子だけのものではなかった。アメカジに夢中だった僕らもまた、必然的にアメリカのソックスに手を出す。70年代ヴィンテージのリーバイス501、ナイキのクラシックなスニーカーやオイルドレザーのレッドウィング。そのあいだを取り持つソックスは何がふさわしいかと考えたら、やはりアメリカで昔から履かれていたであろう質素なものに行き着く。
 それはあの女子高生たちが履いているものとほぼ同じリブのソックスであり、服や靴とのバランスを考えると、やはりそれをクシュっとたるませて履くのが正解。ただ、色は女子と違い、ホワイトよりもライトグレーが僕らの気分だった。霜降りグレーのスウェットシャツと同じようにアメカジ感を出せるし、どんな色のボトムスや靴とも愛称がいい。おまけに学校にも履いていくから、「白」ではないことで周りの生徒たちの「靴下」と差別化を図ることもできる。

 その男性版ルーズソックスは、ソニプラではなく、いくつかの街の小さなアメカジの店に置かれていた。僕は吉祥寺の古いアーケード街にある、ヘインズとかフルーツオブザルームのようなMADE IN USAのTシャツやパーカばかりを沢山並べる小さなショップで調達し、それを定期的に買い替えた。3足セットでビニールのパッケージに入っていて、そこにはいかにもアメリカで昔から売られていることを示すロゴとイラストが描かれている。

 何がいいって、縫製がゆるいこと。ラフに縫ってあるし、全体的にリブの締まり具合もゆるい。そしていちばんの魅力は、履き口が本体と別のリブになっておらず、くるぶしから脛まで同じ表情のまま、そして最後は切りっぱなしのような処理しかされていないこと。昔の機械で縫っているかのような雰囲気がアメカジそのものだったし、最後の部分の締め付けがゆるいおかけで本当に絶妙な雰囲気でクシャッとなるのだ。僕らが理想とする完璧なたるませ方を、このソックスが叶えてくれる。とにかく、これじゃなきゃダメだった。

 そんなわけで僕は高校の3年間、靴下に関してはほぼその灰色のルーズソックスしか買った記憶がない。3足パックを買い、そのうち1足に穴が開くか、緩く縫い止めてあるだけの履き口がほつれるかしたら、次のパックを買う。だからクローゼットには常に4〜5足の、同じ灰色のソックスが履かれるのを待っていた。
 その名も「RAILROAD SOCK」。1901年ミズーリ州で創業した靴下メーカーで、当初はその名の通り、鉄道作業員のために靴下を製造していたそうだ。広大なアメリカに鉄道を行き渡らせるべく、多くの労働者が動員されていたのだろう。19世紀の終わりから20世紀を迎えるあの時代の話だ。

 その後大学に進んでからも、僕の定番ソックスは変わらずレイルロードのライトグレーと決まっていた。そこそこの耐久性もあるので、頻繁に履いても1年近くはもつ。毎年買い替えたとして20足以上履いた計算になるのだが、ある時を境にレイルロードを新しいものに買い替えなくなった。
 リブが伸び切ったり、ゆるい履き口の糸がほつれたりしても後継ぎとなる新品は入ってこないわけで、そのライトグレーのレイルロードは僕のクローゼットから次第に消えていくことになる。

 この続きはまた書くことにしよう。
 

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