伝説のソムリエール 6
「そーらみっみぃー ばーっかりぃっねぇーー!」
その曲がサビになるたび、ヤツはバカでかい声で叫ぶ。会話の途中だろうと、それを優先する。
空耳ばかりね。UAがハスキーに優しく歌っているはずなのだが、ヤツの壊れた大声がすべてを黒く塗る。冷えたテキーラが汗だくの体に心地よく、次第に、この理解不能なシチュエーションを脳が受け入れはじめていた。ヒトには環境に適応する能力が備わっている。
隣に座る。肩を並べる。ただそんな物理的な位置関係だけで、この危ない男が放つ威圧感や違和感がストンと薄まった。
ヤツは俺がカウンターに置いていたサングラスを見つけると、自分の頭の上に乗せていたサングラスを掛け、叫んだ。
「おっ!グラサンだよなぁ、いっしょじゃん!」
そんなに叫ぶことか?と思いながら俺もグラサンを掛け、何だったかは忘れたけれど、やっぱ夏はグラサン!だかそんなような意味不明な言葉を発してやった。
それに、カウンターの女が反応した。
「やったぁ、あたしもグラサーン!」
サングラスを掛け、3人で肩を寄せてYeah!!と叫ぶ。ヤツがそれをスマホで自撮り。何だこの90年代の若者みたいなノリは。
そしてUAのアルバムがひと回りしたのだろう、あの曲が流れる。
「そーらみっみぃー ばーっかりぃっねぇーー!」
ヤツが歌うのを真似て、俺もめいっぱい叫んだ。!空耳なんかじゃない大音量。自分でやっているくせに、思う。いったい何なんだこれは?
女がサングラスを外しながら言う。
「あたし、初めてレコードを買ったのがこのアルバムで、ずうっと聴いてた。ホントにね、こればっかり聴いてたの。」
あの頃アナログ盤を買っていたということは、文化的に奥行きのある人間だ。少なくとも俺よりは。ただ、彼女の腕に巻かれた70年代のオイスターが静かに放つくすんだ光からは、レコードを持たない俺だが、勝手に彼女との共通項を感じる。
空耳ばかり が流れ続ける。俺がリピートを求めたからだ。危険な雰囲気を醸し出している人間は、向こう側にいるときは忌々しく不快で避けたくなるものだが、一度こっち側に来てしまえばしめたものだ。そしてカウンターに並んだ3人の客とソムリエールの4人で会話が弾む。俺ともう1人の客は今日ここに来た経緯を話し、ヤツと妻は日頃どれだけ自由に暮らしているか、とか、本業はバンドマンでこの店は副業なのだとか、それに子供の話やおとといの台風の話など、そんな話をし、そのたびにヤツは豪快に笑い、みんな笑った。
バンドの話になった時、ヤツの声のトーンが変わった。こんどイベントやるから来てくれ、と壁に貼られたポスターを指す。どぎつい色彩で描かれたイラストにいくつかのバンドの名前が連なり、そのうちのひとつが彼のものなのだろうと理解する。
が、目を疑った。
知っているバンドやミュージシャンの名前がそこにあった。知っているどころか、俺の好きな、憧れの、最高のアーティストの名前が2人も連なる。同時に並ぶことがなかなかないビッグネーム、ちょっと浮き足立つような組み合わせだ。会場はこの近くのライブハウス。30年前に一度訪れたことがある、小さなハコだ。
彼はこのイベントに出るのではなく、やる、と言った。つまり主催者なわけで、彼がこの2人のアーティストを呼び、彼らはそれに合意し出演するということなのだ。当然、と軽々しく言うのは憚られるが、彼のバンドも彼らと同じステージに立ち、対バンをする。聞けば、トリを務めるそうだ。
声のデカいこの男は、いったい何者なのだ。
「そうなんだよ、これ、本気でやべぇんだよ、俺、だいじょぶかなぁ? たぶんムリ! ガハハハハハ〜!」
そんな言葉とは裏腹に、豪快に笑う彼の目に自信と誇りの光が宿る。世界は俺様を中心に回りはじめているんだぜ、とまでは言わないが、そんな色に光っているように見えた。