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考えることの副産物

今朝は7時に起床した。
夢の中でハムスターを飼ったのだが、不注意でたった2日目にして死んでしまい、次のハムスターを買おうとしているところで目が覚めた。今日の5時ごろの出来事だったので、私は二度寝を決め込んで、改めて起きたのが7時だった。

この夢は私の命に関する価値観を見事に反映していた。最近友人とそんな話をした影響だろう。
死んだハムスターはみるみると細胞が膨張して赤黒い肉塊に変化したのだ。その肉片に対して私は嫌悪感しかなく、可愛いハムスターに向けていた愛しさなど完全に過去のものだった。

今月に入ってから「価値」について考えている。元々は何を考えたいのかも分かっていなかったが、様々な友人にこの話をさせてもらって、「価値がある」という表現をしたときに「そこにあると思われているのはなんなのか?」ということが知りたいということまで分かった。

インターネットで検索すると、価値論や価値哲学なるものがあるらしい。先人たちの先行研究の成果がきっと私の疑問のヒントになりそうだ、というところまで辿り着くことができた。

調べれば様々な事がわかる時代だが、自分が知りたい事がなんなのかを自覚したり、実際に検索できるまでに何人もの友人が関わってなければこの早さで辿り着けなかったと思う。

私にとって考えることは、知的好奇心を満たし、分からないというストレスを解消するとともに、友人たちへの敬意と感謝が積もる行為である。

ありがとう。
さて、朝ごはんを食べよう。

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