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写真と家族とNFTと、君は瞬きひとつで彼女を幸せにする

あの日の写真

妻が手術を終え、しばらくした頃。
息子の学校で命に関する公開授業がありました。
彼女からの提案で、ボクの撮った写真を資料で出そうということになりました。

その頃はフィルム撮影ばかりしていて、探すのに一苦労でした。
でも見つけた瞬間、あのときの感情が蘇りました。

保育器の中と外

長男は生まれてすぐに、過呼吸で保育器に入りました。
立ち会い出産ながらも出産直後の数秒間以外は、ボクはもとより、妻も赤ちゃんに触れることは許されませんでした。
呼吸をするたび、彼の小さな胸は、まるで作り物のゴム人形のように大きく膨らんだり、へこんだりを繰り返していました。

初めての、しかも異国(我が家は国際結婚です)での出産で、生まれてきた子は保育器の中。
妻は、ストレスと心労から、全身に発疹が出てきて人相も変わり、別人のようになっていきました。
それでも、日に二回、朝、夕と面会が許す時間いっぱいを息子と保育器越しに過ごしました。
母乳は、初乳に栄養が詰まっているので、絞って冷凍保存し、いつになるかわからない、我が子の帰りを待って与えることにしました。

ボクはその儚い命を前に、当時まだフィルムだったカメラのシャッターを何かを焼き付けるように、切り続けました。

この写真は、その中の一枚です。
息子が瞬きをした瞬間、たったその反応に対して幸せいっぱいになった、妻の笑顔です。

君は瞬きひとつで彼女を幸せにする
高野 マナブ
写真 サイズ可変


幸せは不幸の近くで

結局、2週間たっても体調は改善せず、周りに反対されながらも妻の強い希望により、面会時間を自由に設定でき、また保育器ではない環境で体調改善の処置を施していただける病院に息子を移しました。
生後2週間での救急車移動です。
生まれた病院の先生方や親戚などは反対しましたが、
妻の近くに居続けたボクは反対しませんでした。
後に、「あの時一言でも反対していたら即離婚して子供と韓国に帰ろうと思ってた」と言われました。笑いもせず。。

病院を移ると間もなく、息子の病状は改善し、1週間ほどで退院しました。
その後は、もう元気いっぱい夢いっぱいで、大きすぎる体から元気がはみ出しています。

あの時も、また、次男が原因不明のウィルスで病院で毎夜を明かした時も、この前の妻の手術のときも。
ボクのこのどうしようもないない命と引き換えにこの人を元気に幸せにして欲しいと心から思いました。
そう思える人がたくさんいるのは、なんて幸せなのだろうと思います。

この写真は、テレビCMでもお馴染みの生命保険の会社のコンクールで授賞しました。
表彰状の名前と賞のところに✖をつけ、息子の名前のがんばったで賞に書き換えて、ベビーベットの近くにしばらく飾っておきました。

授業でも出産を経験されているみなさん、共感されていました。
元気で生きていてくれれば良いと思っていたのに、成長するうちにあれやこれやと望んでしまうのですよね。
愛してるから。

親子ウサギのNFT。こちらは父と息子、4点です。

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