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『PERFECT DAYS』それでも世界が続くなら


なんとなく、前評判だけをみていたころは金銭的に余裕はないが日々小さな幸せを見つけて楽しく生きているような物語なんだろうな、と思っていました。そしてそれをみたら今の自分の精神状態であればむせび泣いてしまうかもしれないという予感も。
なんとなく選んだ仕事で全く生活に支障のないお金はもらえているが、最近は忙しく朝起きてから寝るまでずっと画面をみているような状態で、生きている感覚もなくなってきている今みるのは少し抵抗がありました。


この映画が小さな幸せを見つけてハッピーに生きている日常を描いているかというと、おそらくそうではないと思います。ラスト平山が車で出勤している顔を長回しで見せているところがその理由で、そのときの平山はころころと微妙に表情が変わる。
上のシーンでもセリフがなく、そもそも映画全体でセリフ自体が少ないため受け取るものは分かれると思います。

平山は基本的に機嫌がよく笑顔で日々を過ごしているが、私はそれを沁みついている張り付けた笑顔なのだと解釈します。映画の前半ではたしかにその通りで、なんとなく間抜けな人だなという印象を受けます。日が進むにつれて心無い会話を受けたり、妹との会話の後で見せる表情からして自分の状況を客観的に満足しているわけではないことがわかります。
ただしそれはあくまで”客観的に”自分をみたときに感じるものなのでしょう。

平山は選択的に得る情報を少なくし、行いをルーティーン化させることで日常の中での差異を際立たせ、それを発見しやすくしているように感じます。
世の中の過度に激情化されたエンターテイメントを摂取してしまうと、それに比較して自分の人生はどうだと振り返ってしまう。それをしないために隔絶された世界に住んでいるのが平山です。


平山が常連の居酒屋のママの言葉にこの映画のテーマが際立っている気がします。それが、「変わる人、変わっていく人」と「変わらない人」です。
平山は当然変わらない人ですが、それがいいとは思っていない。
ママの元夫にかけた言葉はただその場で出た優しい言葉ではなく、客観的に世の中を見て出た変わらないものなんてないという言葉。

まさに現代的な方丈記なのかもしれない。


平山はルーティーンの毎日を生き、仕事を丁寧に行い、日々の差異を発見することで今を生きているんだと自分に言い聞かせている人に見えました。
「木漏れ日」という日本語の説明が最後に出てきたのも、あくまで今を切り取る言葉なのだということを強調されていたためです。
自分はまだそんな歳ではないので、この生き方を肯定”してはいけない”と思います。


さらっとすごく豪華なキャストが出てくるのでそれだけでも楽しい。
あがた森魚が出てきたときはギターだけじゃなく歌ってほしかったなあ。

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