ようやく同じ線の上に立った
バイト帰りに駅を歩いていた時、ばったり友達と会った。
彼女は中学高校が一緒で(私の母校は中高一貫校でした)中学時代は部活も一緒だった。好きな作家さんが一緒で、本の話でも大盛り上がりしていた。そもそも、私の部活の面々は箸が転んでもおかしい年頃、という言葉がそのまま当てはまるような女子中学生集団で、笑い声が一番大きくてうるさいという定評まであったほど。何回も遊びに行っては騒ぎ散らかし、練習試合にいく道中だって爆笑の嵐の状態だったから、顧問の先生には半ば呆れられていたと思う。
そんな感じだったので、当時も今も、部活のメンバーは大好きだし、あの三年間はかけがえのないものだったと思う。高校生になり、それぞれ部活が変わっても緩やかに関係性は続き、成人式のあとは飲み会を開催して大いに盛り上がった。
大学生、そして大学院生になった彼女は、そんな中高6年間を懐かしむと共に、あの頃が一番楽しくて何も考えずに幸せに過ごしていたという話をしていた。
中高時代の私だったら、その言葉に大いに賛同し、いかに中高時代が幸せだったかを論じていたかもしれない。でも、大学4年の私は一呼吸おいて、ためらいながらも、ポツリポツリと当時の本当の思いを口にしていた。
中高時代の友人にこのことを話すのは、実は初めてだった。
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私の中高時代は、友人たちに恵まれた楽しい時間だった一方で、内面の私と外の私、理想の自分と現実の自分の乖離に大きく悩まされた時期でもあった。
県内各地から優秀な子どもが集まり始まった中学校生活。周りの友達はびっくりするほど勉強ができて、授業は驚くべきスピードで進んでいく。着いていける、と感じられたのは得意だった国語くらいで、後の教科は必死だった。特に数学は目も当てられないほどの出来で、テストはいつも赤点。夏休みに追試を何度か受けてギリギリの状態でパスするという状況だった。
当然、そんな成績では親に褒めてもらえるどころかお叱りを受けるばかりで、テスト返却のあった日は帰路につく足が重かった。こんな点数ではまた怒られてしまう、どうしてもっと頑張れないんだろう、このまま家に帰っても辛いだけだからいっそどこかに飛んでしまおうか、消えちゃった方が楽なのかも、と思いばかりが膨らんで気持ちが黒く塗りつぶされていく。当時、付き合っていた彼氏がいたけれど、楽しい付き合いというよりは、お互いの黒さを見せあってずぶずぶ沈んでいくような関係で、二人の間にあったことは他の人には言えないようなことばかり。でも、今になってみれば、それで繋ぎとめていられた部分もあったのだと思うけど。
そんなこんなで、一度は部活を辞めることも打診された。もっと勉強に集中した方がいいんじゃないかと。でもそれはどうしてもできなかった。
部活のメンバーが好きだったから自分だけ離れたくない、そんな思いもあったと思う。でも、一番の思いは「バレたくない」だった。
あれだけ仲が良かった部活の面々なのに、私は自分の勉強での悩みを打ち明けたことがなかった。「すごくできるわけじゃないけど、そこそこできる」というポジションを繕って演じていた。余裕があるフリをした。必死だった。(たぶん、付き合っていた彼氏についても、私はほとんど話をしていなかったと思う。)
でも、部活を辞めたらその理由を話すことを避けることができない。そうしたら、今までの自分は崩れ落ちてしまう。それだけはできなかった。必死に懇願して部活には残留したけれど、その部活でもずっと楽に息ができたわけじゃない。
所属していたバスケットボール部は、最初は初心者集団でのスタートだった。みんな横並びの実力で、高校生の先輩方の背中を追いかけた。
でも、時間が経つにつれて実力に差が生まれ、私の背番号はだんだん後ろになっていく。公式戦で初めて勝利した時も、私はあと少しでコートに入るというところで試合は終わってしまった。試合後、みんなうれし涙を流していたけれど、私が流していたのは悔し涙だった。誰がコートに出ていないかなんて、その状況では誰も気にも留めなくて、私の涙の種類が違うことに誰も気が付かなかった。私も、それを言い出すことができなかった。言ってしまったらみじめだと思った。
そんな中学時代があったから、高校に進んでからは部活もゆるゆる部に変更し、居場所を学校外にも持つようにした。勉強もなんとか巻き返してきて、これで大丈夫、うまくやっていけると感じていた最中、私は受験に失敗して浪人が決まった。
今度こそ、ごまかしがきかなくなってしまったのである。他のみんなが次々と大学を決める中、私は宙ぶらりんに放り出された。そしてバレた。
私が取った行動は、逃げること。
頑張るね~、と言って追随を交わし、逃げた。連絡もほとんど絶って、SNSもやらなくなった。苦しい時代に蓋をして、全部なかったことにしたかった。
一年後、無事大学生になり、成人式なんかで同級生たちとも顔を合わせるなどしたきっかけで、連絡は少しづつ取るようになった。でも、自分の大学など学歴や成績の話題はどうしても苦手で、距離を縮めづらい。なんとなくで話を合わせるのが精いっぱい。まだまだ、高校生の自分を引きずっていた。
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中高時代を懐かしむ彼女は、彼女が感じていたように、私の中高時代も一点の曇りもない最高な時代であったと思っていたかもしれない。
でも、私の中高時代は、大好きな友達に囲まれた6年間でもあり、ままならない内面を隠しつつ外側の余裕ある自分を必死に演じる6年間でもあり、理想の自分とかけ離れていく現実の自分が嫌で嫌でしょうがなかった6年間でもある。
そのことを初めて話した。少し驚いていた。確かに、なぜかその話はしたことなかった気がする、と腑に落ちた様子だった。
でも、その話をしたところで、私たちの関係は変わらなかったし、私たちは同じ目線に立って話をし続けることができた。仙台を離れる私に対して、また会おうね、絶対島根に行くからね、と声をかけてくれた。
話してみれば、なんともないことだった。
なんともないことだったけど、私にとっては大きな一歩だった。
ようやく、私たちは同じ線の上に立てた気がする。