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とにかく泣いてしまった
さっき、幡野広志さんが登場する番組を見た。
とにかく、泣いてしまった。
悲しいからではなくて、なんだかいろいろが込み上げてきて、泣いていた。
わたしが幡野さんのことを知ったのは、糸井重里さんのTwitterだった。
糸井さんは幡野さんと対談されていて、その記事を読んで、幡野さんが写真家で、ガンで余命宣告を受けていること、わたしの身近な人と、同じ病気であることを知った。
幡野さんの写真や、言葉や、ものの見方や考え方に、正直さと鋭さと、深さを感じた。
引き込まれて、もっと触れてみたくて、本屋に並んでいた著書を買って、読んだ。
幡野さんがやっているnoteが気になって、はじめてみたりもした。
糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞の、今日の「今日のダーリン」に、対談や番組についての紹介があります。まだ読まれていない方は、ぜひ。
番組のなかで、その糸井さんとの対談のシーンがあった。
幡野さんが、病気になって出会う人はいい人ばかりで、自分は悲しみの種をまいているんじゃないか、と糸井さんに話すシーン。
糸井さんは、軽やかに、優しく、おっしゃった。
みんなが悲しんでるのをみて、手を振ればいい。
ぼくらは悲しむことまで含めての、関係だから。と。
もうこうして文字を書いていても、泣けてくる。
この言葉で、どれだけ幡野さんは救われただろう。
全然関係のないわたしという人間の、推測でしかないけれど。
きっと、たぶん、絶対そうだ。
こんな風に、人と関係をもつことができたら。
番組のなかでも出てきた、日本の医療においては、医師や家族の希望が尊重され、患者の希望がおいてけぼりにされるという話。
残されるものは、悲しいから。
患者は、苦しみたくないとしても。
わたしの夫がもし、この先、病の床に伏したら。
わたしは、好きなようにしていい。あなたの人生なんだから。と言いたい。
幡野さんの奥さんのように。
でもわたしはきっと悲しくて悲しくて悲しくて、さびしくてさびしくてさびしくて、絶対につらい。
それに耐えられないと、少しでも長く生きて欲しいと、願ってしまうだろう。
だから、わたしは、いつかは絶対に一人になる覚悟を、本当にまだ薄っすらとだけど、自分のなかの片隅に置くようにしている。
好きにしていい。ラクにしていい。と言えるように。
自分が、その先も、歩いていけるように。
とても悲しいけれど、大丈夫だから。と。
実は今年結婚したんだけれど、すでにこんな風に考えているのは、さすがネガティブシンキングのわたしだな、と思う。
番組のあと、Twitterを見たら、幡野さんも病院で番組を見て、泣いてしまった。と言っていた。
それを糸井さんがリツイートして、ねぎらっていて、また泣けた。
全然関係のない人間にも、こうして届いて、勝手に涙しています。
ありがとうございます。
それから、わたしもやっぱり、写真を撮りたいと思った。
幡野さんの生き方や写真を知ってから思っていたことだけれど、あらためて。
いろいろな気持ちが渦巻いて、長くなってしまったので、これから先は次の機会に書こう。
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