レンズの向こうの心を見る
写真を撮られるのが苦手、という人は多い。
わたしは去年の秋、ちょうどnoteをはじめたころから一眼レフカメラで撮影するようになった。それからずっと、いわゆるポートレート写真、人の写真を撮りたいと思っている。
なんで人の写真を撮りたいのか。自分でもよく分からない。昔から絵を描くにも人を描くのが好きだった。
けれど、いまだにあまり撮れずにいる。母や夫を少し撮ったくらいだ。ポートレート写真を撮るにはまず、知り合いの中から写真を撮ってもいいよという人を探すことになる。この声かけが出来ていない。
なんで声かけが出来ないのか。それは分かる。一つは自分に自信と経験がないから。プロとして撮影している知り合いもいるのに、素人の自分が練習とはいえ無料で撮らせてくださいと言っていいものか、という迷いがある。
もう一つは、写真を撮ってほしいけれど、写真を撮られるのが苦手という人をどう撮ればいいかが、分からないから。こればかりは撮らないと分かるはずないし、撮っている人も試行錯誤しているはずだ。
でもさいきん、そのヒントを教えてくれる記事と出会った。
撮影を意識させない撮影、カメラを持ってるわたしをデフォルト設定にさせる、という部分に、なるほど〜!と頷いた。
それから、糸井重里さんと写真家の幡野広志さんの対談の中にあった、こんな言葉も参考になった。
幡野さんが、写真集を出すにあたって「ひとんちの子どもの写真なんて、誰が見てくれるんだろう?」と思うという話をされたとき、糸井さんが言う言葉。
目っていうのも、ただのレンズじゃないですか。幡野さんの目を借りるということは、レンズの奥にある脳みそを、つまり「こころ」を読んでいるわけです。幡野さんはなにを感じたんだろう、って。
だとしたら、写っているものは、バラでも空でも犬でも子どもでも、なんだってかまわないんですよ。ぼくらは、こころを読んでいるんだし、被写体との「関係」を見て、たのしんでいるわけだから。
つまり、撮る人も撮られる人も、レンズを意識し過ぎず、その向こうにある人の心を見るのが大事なのかなぁと思った。
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この前の土曜日、髪を切りに行くのに久しぶりに自転車に乗ったら楽しかった。そして髪を切ったあと、公園で夫に撮影してもらった。
わたしは写真を撮られるのが好きなほうだ。でも人を撮るのが得意ではない夫に、黙ってカメラのレンズを向けられると、わたしも何だか緊張してしまい顔がこわばる。
撮られるのが苦手な人って、きっとこんな気持ちなんだなぁ、と思った。
もうちょっと声をかけたり、いろんな角度にしたり、引いたり寄ったり、風景の中にポツンとさせたり…と、自分が撮るならこういう感じでというのがあるけれど、夫はわたしに頼まれて撮っているので、当然わたしが思うのと同じようには撮らない。自分を被写体にして自分で撮りたいくらいだった(笑)
どーん。これはまともに撮れているんだけど、わたし的には、もうちょっと引いてくれてれば…。おばさんのアップで、すみません。笑
夫は何でもアップで撮るのが好きだ。
この撮影のとき、夫は撮るのに集中していたし、わたしはレンズをかなり意識していた。でも、レンズを向けている相手や向けられてる相手が、何を考えているかとか、楽しそうかとか、お互いにお互いの心を見るようにすれば、違っていたのかもしれない。「関係」がきっと、楽しいのだから。
よおし。写真を撮らせてくださいって、言ってみよう。難しいけど、やってみよう。