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祝・藤川理論を始めて1年:これまでのふり返り(7)栄養不足の症状②自傷行為

※注1
今回は自傷行為に関することを書いているため、傷や血などの表現が苦手な方は読まずにスキップしてください。


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鉄分不足がピークに達していたと思われる高校時代は、いわゆる「メンヘラ」的な症状が次々と出てきた時期だった。当時は「メンヘラ」という言葉は世の中に存在していなかったけれど、そういった存在の原型はもっと昔から確かに存在していた。

心療内科や精神科に行くと、境界性パーソナリティ障害や双極性障害II型などの診断名がつくことが多いこのタイプは、恋愛依存や買い物依存、アルコール依存、拒食症や過食症など、さまざまな依存症を伴うことが多い。自傷行為に依存する人も大変多く、わたしもその典型だった。

かなり長い間続いたリストカットの習慣の始まりは高校2年生の頃だった。
始まりは覚えているが、どうして始めたのかは分からない。

ある日、校庭に落ちていた枯れ枝で何となく手の甲を傷つけたことがあり、その手の甲の引っかき傷を見ると、何か満足感のようなものを感じた。
それからシャープペンシルの金属部分で強く手の甲を引っかき、みみず腫れを何本も作った。傷が増えていくのはなんだかとても気分が良かった。

担任の教師にその傷を見られ、軽く咎められたことがあったが、この頃から冷静に物事を判断する力が急速に衰えはじめ、深く物事を考えることがあまりできなくなっていった気がする。
少し悪いことをしているかもしれない、とは思うものの、傷を作る行為はとても魅力的で、さらに軽い痛みを伴うことで、まるでカフェインを摂取した時のように怠さをリセットする感覚を得ていたように思う。

その頃、両親と担任教師とわたしで進路についての面談があり、その中で突然、担任教師がわたしが自傷行為をしているということを両親に告げた。
一度軽く咎められたとき以来、自傷行為について担任に心配されたことも話し合ったこともなく、本当に突然の告げ口で内心とても焦った。

面談の後、両親に「木の枝に引っかけちゃったただけだから」と笑顔で話したところ、「そうだよね、そんな自分で傷つけたりとかしないよね」のような反応で、わたしの苦しい言い訳をあっさり信じてしまった。

事なきを得たと安堵したものの、その時のわたしは担任教師に裏切られたと感じた。多分彼は同じような生徒を他に知らなかっただろうし、スクールカウンセラーの制度もなく、精神科疾患への理解もあまりない時代に、教師に適切な配慮や対応を期待するのは酷かもしれない。
根本は栄養不足なので、もちろん全てが彼の責任ではないけれど、この出来事は引っかき傷がリストカットへと発展し、それが習慣化する大きなきっかけのひとつになった。

また、幼少時からずっと母のことを信用することができず、父も仕事優先だったため、思い切ってこの時胸の内を両親に話す選択はわたしにはなかった。
一番近い存在である家族と、主な居場所である学校の担任、両方に背を向けてしまったわたしは、自分の内側の闇にどんどん潜り始める。

仲の良い友人は常に心配してくれる都合の良い存在だった。試し行動のようなことばかりしているわたしの病んだ態度に、クラスメイトの一部は強い嫌悪感を持っていた。そのうちのひとりに、(友人は)なんであんなダメな人の相手をするんだろう?と思っていた、と後に告白されたことがあった。反論の余地なく、当時わたしは本当にダメな人間だった。

手の甲はすぐ傷がばれてしまうので、手首や腕など、夏でも常に長袖を着ることにより外からはすぐ見えない場所に傷をつけるようになっていく。
隠したいけれど見られたい、という相反した気持ちもあるので、傷パッドを貼ったり包帯を巻いたり、傷を負っていることをアピールすることもあった。

あまり深く傷をつけることはできなかったので、両腕には浅い傷がたくさんできた。肩に近いところは皮膚が常に張っているため、傷がなかなか治らなかった。
治りかけた傷をまた切ることもあり、制服や私服のポケットにはいつも刃物を忍ばせるようになった。
小さなビンに血を集めてみたり、手の甲の引っかき傷からエスカレートしたというよりは、ひたすら訳のわからない人体実験に耽っているような感覚だった。

夏場も長袖を着て、両親にも傷を隠し通していたが、ある日部屋で半袖で昼寝をしているところを母に見つかってしまった。
母は半泣きになりながらわたしの腕を捻り上げ、「こんな遊びをして!」と怒鳴って去っていった。
わたしが初期の自傷行為を誤魔化してしまったため、この時の母のショックはかなり大きかったと思う。栄養療法を続けて精神的な安定が保てている今だからこそ冷静に考えることができるが、わたしはかなり長い間母が「遊び」と言い放ったことを恨んでいた。
自分が異常なのは分かっていたし、悪いことをしているのも分かっていた。でも決して遊びではない、と思っていたが、前述の通り人体実験のような楽しさがそこにはあったので、つまるところ母の指摘は図星だったのだと思う。だからこそわたしは長年その言葉を根に持っていたのだろう。

その後、傷が見えると両親から嫌な顔をされることはあったが、本気で自傷を止められることはなく、深く話し合うことも、医者に連れて行かれることもなかった。当時の精神科に行っていたらもっと早く治っていた…と言いたいところだが、栄養療法を知った今となると、あの頃の精神科に行かなくて良かったと思う。
…その後、結局は別の人に精神科に連れて行かれることになるのだが、それまた別の機会に。

自傷行為にはさまざまなパターンがあり、何を選択し依存していくかはその人による。
自分がなぜリストカットを選んだのかは分からないけれど、芸能人の自殺や自殺未遂など、テレビから入ってくる情報が元になっていたと推測できる。マンガなどでも手首を切って自殺を図る表現はよく出てくるし、そういった行為に走るキャクターもいまだにいくつか思い当たる。

また、この頃はアンダーグラウンドな情報が巷でもてはやされる傾向にあり、中でも鶴見済著の『完全自殺マニュアル』の出版はとてもセンセーショナルだった。娘の部屋の本棚にこの本があるのを見ても親は特に何も言わなかった。もしわたしが親の立場でも、言う勇気は出なかっただろう。

この本は現在でも新刊で手に入れることができ、Amazonでは評価4.3、500件以上のレビューが投稿されているベストセラーでもある。
この本を参考に命を絶ってしまった人もいるが、この本を読んだことで「いつでも死ねる」という「お守り」になり、その時の苦しみを乗り越えられたというレビューもある。
自ら命を経とうとする人がやり方を簡単にネットで調べられる時代にあって、ネットがなかった当時のこの本の衝撃は計り知れない。バブル崩壊後、社会の様相は大きく変化し、人生観とともに人々の死生観もこの頃から変化し始めたように思う。

世紀末はデカダンスが好意的に受け入れられる。栄養の歴史で言えば、糖質依存が加速しただけの結果ではあるが、栄養不足の人の行動は常に奇異で、逆にそれが面白がられ、時に神格化され、メディアに利用されてしまうこともあった。

21世紀になりIT革命と呼ばれる時期を経て、個人ブログが流行り始めると、境界性パーソナリティ障害の少女たちが毎日日記に自傷の写真を載せたり、「死にたい」と目の前にいない誰かに向けて言葉を綴ったりするようになった。
同じような症状の人とネットで繋がることで、いつでも心配してもらえる安心感を得ている少女も多かったが、安心感で生き続ける人もいれば、安心感を得て自死を選ぶ人もいる。
わたしは常に傍観者で、興味本位で彼女たちのブログをよく訪れていたが、ある日代理人が本人の訃報を書き込んでいるのを見て、例えようのないどんよりとした気持ちになったこともあった。

また、ブログの過激に病んだ内容が面白いとメディアに取り上げられた別の少女は、メディアや大人に存在を利用され、改竄された内容を本として出版させられ、アイドルのように扱われた結果命を経ってしまった。
影響されて自死を選んだ人も多く、かなり伝説的な存在だった。しかし、本人のブログが既にネット上になく、本の内容がかなり変えられていることが現在は確認できないことや、周囲の大人により本人の存在が搾取された経緯、内容の過激さによる負の影響力、また某精神科医の後書きへの批判などもあり、絶版にすべきだと主張している人もいる。

わたしはリストカットを死ぬためにやっているわけではなかった。死に近いところに常に居たいと思ってはいたけれど、死にたいと本気で思ったことは多分一度もなかった。だからこそこうして栄養療法にたどり着くことができたのだと思うが、出会いによっては今生きていることはなかったかもしれない。死にたいと願う人をSNSで誘い出し、殺人に発展したショッキングな事件があったが、悪徳な医療や宗教、各種犯罪に巻き込まれるのは運だけではない。自分自身の経験から考えても、栄養不足で思考が停止している人は常に騙されやすく利用されやすいと感じる。

先日知り合いの人の友人の娘さんが当時のわたしと同じような症状があると聞き、すぐ藤川先生の本を読んでもらうように伝えた。
その娘さんは少し前から精神薬を飲み始め、以前の彼女のようではなくなってしまったという。彼女のお母さんもきっと栄養不足だろうから、すぐに実践に移ることはできないかもしれないが、他の方法があると知ることで、選択肢を増やしてくれるかもしれない。

病んだ少女たちのブログを読んでいた時、半分自分も仲間だと思うとともに、何とも傲慢なことに、彼女たちを救いたいと強く思っていた。
今でも人を救うなんてことは到底無理だけれど、以前のわたしと同じような状況の少女たちが、出来るだけ早く栄養療法に、藤川メソッドにたどり着くようにいつも心から祈っている。

内容が少し脱線したかもしれないが、時代背景抜きで病気を語ることはできない。病気は時代や社会の仕組みが生み出すものだからだ。
栄養をせっせと入れるうちに、個人の体験や感情にとどまらず、少し広い視点から自分と周囲を見ることができるようになったと思う。

次回はその後通院することになった精神科での治療について書きたいと思う。

Thank you for reading so far.

yama

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