夫と妻で考え方がちがってもいいのだ
私が思う夫婦といえば、阿吽の呼吸で、常に同じ方向を向いており、長年の仲睦まじい暮らしでそっくりな顔、そんな夫婦像だ。
しかしそうでなくてもいいのだ、とこの頃少し肩の力が抜けたのだ。
今までの私といえば、夫と家庭の方針のすり合わせがうまくいかないことにやきもきしていた。
あんなに好きな人と結婚したのに、どうしてうまくいかないのだろう。
私は休日は家族全員で公園でほのぼのする家庭に憧れていたし、子どもの感情を大事にしたい私と違って、わがまま言う子どもに「泣くな!」という夫にイライラしていた。
「夫婦でニコイチ」な姿を、子どもに見せた方がいいのではないかと思っていたのだ。
また、お母さんの言う事と、お父さんが言うことは同じでないと子どもが混乱すると心配していた。
やっと府に落ちた。夫と私は別の人間。
「夫は夫、私は私」それぞれ別々の人間が家庭を運営してるという感覚はあるつもりだったが、どこかで夫と自分の境界が曖昧になっていたように思う。
しかし夫から、「家庭で過ごさないといけないというプレッシャーが辛い。お互い、出かけたい時に出かけないか。」と切り出された。
最初は驚いたが、実践してみるとこれが意外と良かった。
今までは土日に「家族でどこ行く?」と話すものの結局出かけず消化不良の淀んだ空気が残るだけであった。
しかし夫も私もそれぞれ「今日出かけてくるよ」と出かけるようになってから、空気が軽くなったように思う。
この頃から私は「夫と別々でも、そういう夫婦でもいいのか」と、夫と妻は別の人間であることが少しずつ腑に落ちていった。
子どもだって「パパとママは違う」と認識できる
父親と母親が違うことを言っていては混乱するのでは?というのは我が家の場合は杞憂であった。
そういえば、保育園で過ごすわが家の3歳の子供ですら、相手が誰かを見極めて態度を変えるではないか。
厳しい先生の前ではシャキッとし、優しい先生の前では甘ったれになるではないか。
私はこう思う、あなたはそう思うのだね
相手と意見や考え方が違うことは、喧嘩ではない。
「私は違う考え方だ」と伝えたり態度に示すことは、相手への攻撃ではないのだ。
物の見方、家庭の方針、子育ての方針、それぞれ違って当たり前。
「あなたはこうしているけど、私はこう思う。なぜなら、、」という対話を重ねていくだけなのだ。
そこに決着はつかなくても、夫婦として家族として、仲良く暮らしていくことに何の問題もないのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?