【旭川いじめ事件】10年引きこもっているいじめサバイバーから、赤の他人のあなたへ。
この記事には、いじめに関する描写が含まれます。同じような経験をお持ちの方、フラッシュバックの可能性をお持ちの方は、ご自身の体調と相談の上でお読みください。もし途中で具合が悪くなったら、無理せずブラウザバックをお願いします。
初めてnoteに投稿するのは、この記事にしようと決めていた。と言うか、そもそもこの記事を書こうと思って登録をしたはずだったのだが、結局、何となくもたもたしているうちに、初めてnoteに投稿する記事では無くなってしまった。
もたもたしてしまった理由は分かっている。本当は何となくじゃない。書くことで、どうしても思い出したくないことを思い出してしまうからだ。それでも、書きたかった。初めて事件の概要を知った時、そして事件の記事をやっとのことで最後まで読み終えた時のあの気持ちを、どうしても言葉にしたかった。
それは、凄惨ないじめに遭った14歳の少女が、遺体で発見されたという事件だった。
記事を読み進める中、ふと感じた「既視感」
まず、これがとても凄惨な事件であることは言うまでもないことだと思う。この記事を読んでも「いじめられる方が悪い」とかのたまう人間がいたら殴りたい。
だが、記事を読んでどれだけ具合が悪くなろうが、どれだけ加害者や傍観していた教師、隠蔽しようとした学校に対して怒り狂おうが、私は被害者である彼女がどれだけの苦しみの中にいたのかを真に理解することはできない。
なぜなら、私は確かにいじめを受けていたし、それを「受けていた」なんて過去形の言葉で片付けるのに抵抗を感じるほど未だにそこから抜け出せてはいないけれど、彼女と私が受けた被害はあまりに違っていて、そして私と彼女が他人だから。私が彼女ではない以上、私は彼女の苦しみを真に理解することはできない。
だけどそれでも、事件の記事を読むのはとても痛かった。痛くて苦しくて、悲しかったし、やるせなかった。どうして彼女がこんなにも苦しい目に遭わなくてはならなかったのだろうと思うと、辛かった。
それでも何とか記事を読み進めていると、ふと既視感を覚える言葉に出会った。
「今でもあの子を産んだ時のことは忘れません。3384グラムの元気な女の子でした。小さいころから健康優良児で食べることが大好きで、元気に学校に通っていたころは『今日給食でおかわり5回した』なんて話してくれる子でした。自然がいっぱいある緑に囲まれたベンチで静かに勉強するのが好きで、鳥の鳴き声も好きって言っていた」
「絵が昔からとても好きな子でね、いつもカラフルな明るい絵を描いていたのですが、それも随分とテイストが変わりました」
既視感の正体はすぐに分かった。何のことはない。かつて私が母に言われた言葉だ。
「大声を出して走り回ったり、騒いだりするタイプじゃなかったけれど、(いじめられる前のあなたは)とても明るい子だった」
「学校であなたの絵を見て、とても驚いたし悲しかった。あなたの絵は昔の絵と全然違った。あれは傷ついている人の絵だった」
いじめにあってからというものの、いじめに関する事件や記述にはどうしても冷静でいられなくなる自覚はあった。加害者に対する過激な言葉が口から出ることもあったし、遺族の言葉に思わず泣きだしてしまうこともあった。
でも、どれも今回ほどじゃなかった。こんなに、衝動が抑えられなくなることは今までなかった。
私自身と重なる部分があったからなのだろうか。私は、この事件の加害者に対して、信じられないぐらい激しい憤りを感じている。そしてそれと同時に、被害者である廣瀬爽彩さんに、勝手な、あまりに一方的な親近感を感じている。
あまつさえ、こんなことを思っている──「あなたと話がしてみたかった」、と。
事件の記事になって初めて名前を知った、まさしく赤の他人である少女に、そんなふうに思うのは変かもしれない。でも、私は話がしてみたかったよ。話したところで、あなたには何の救いにもならなかったのだろうけれども。
「もうあの子たちはいないのに、どうして私は学校が怖いんだろう」
私がいじめられていたのは、小学校中学年から高学年の4年間で、だけど不登校になったのは高学年の時からずっとだ。
中学に上がったばかりの頃、私はずっと自分でも訳が分からなかった。
「どうして、学校に行くのが怖いんだろう」
「もうあの子たちはいないのに、なんで怖いんだろう」
思えば、私は答えが欲しかったわけじゃなかった。どうしていじめられるんだろう、と考えたことはある。自分のせいなのか、と思ったこともある。だけどいつでも思ってることはひとつだけ──「もういじめられたくない」だった。
中学校ではそれが叶った、はずだった。同じ小学校から来た人もいたけれど、少なくとも私をいじめていた主犯格はいないか、クラスが違うかだった。傍観者だった人たちは何人かいたけど普通に話をしてきたし、友達だっていた。いま思えば私がいじめを受けていたことを知っていたのに何もせず、主犯格がいなくなってから何事もなかったことにして話しかけてきた傍観者たちにも腹が立つが、当時はそこまで気が回らず、むしろ普通に話しかけてもらえたことが嬉しかった。
やっと「普通」の学生生活を送れると思って、私は安心して学校に通えた──はずだった。
だけど、すぐにまた足が遠のき始め、最終的には小学校高学年の時と同じように、不登校の状況に戻ってしまった。
今思えば、私は「いじめっ子」じゃなくて「学校」と、「人間」が怖くなっていたのだと思う。記事では、廣瀬爽彩さんは引っ越して転校したものの、PTSDで新しい学校に通えなかったとある。多分、少し似たような状態だったのではないだろうか。
私も廣瀬爽彩さんも、取り巻く環境が変わったとはいえ、いじめは何の解決もされなかった。私の場合、いじめっ子は何の反省も態度を改めることもなく、元気に楽しく小学校生活を満喫して卒業したし、廣瀬爽彩さんの場合は当時の学校側の態度も相まってかなりきつかったのではないだろうか。加えて、裁判でも証拠不十分となったのだから、余計に辛かったのだと思う。
ところで、記事を読んで廣瀬爽彩さんを「すごいな」と思ったところがある。それは、そんな怖くて辛い状態にも関わらず、彼女が「人と繋がろうとしていた」ことだ。
人が人と関わるということ
前述の通り、私はいじめによって「学校」そのものに拒否感を覚えるようになり、ひいては「人間」が怖くなってしまった。具体的にいえば、「人と関わるための前提となる人間への信頼感」が崩れてしまったのだ。
私が受けたいじめは割と陰湿だったし、正直これがあるから、小学生ぐらいの子供を「純粋」とか「天使みたい」と言ってる人を見ると「お前の目は節穴か!!」と思ってしまう。
どういう風に陰湿だったかと言うと、時々、めちゃくちゃ優しくしてくるのだ。
無視したり、わざと聞こえるように陰口を叩いたり、「触ると汚れる」といったバイ菌扱いのようなものを日常的にする一方で、時々まるで友達みたいな面をして、すっごく優しくしてくる時がある。
そう、DV加害者がよくやるやつである。殴った後に「ごめん。もうしない」と泣いて謝ったり、付き合いたての頃みたいにやたらと優しくしてくれるような、あれである。そうして、うっかりあることないことべらっと喋ってしまうと、次の日には話の内容がクラス中どころか、隣のクラスにまで拡散されていて、よってたかって嘲笑されるのだ。
ちょっと想像してみてほしい。クラスで孤立し、汚れるから触るななどと言われ、席を立つ度にクスクス笑われたりしている中、ふいに優しくされるのを。参っている時ほど優しさは心に沁みるものだ。もしかしてそんなに悪い人じゃないのかも。もしかしたら信じてみてもいいのかも⋯⋯
そうして期待を与えて、後で粉々にぶち壊すのがあいつらの手の口だった。
「じゃあ最初から信じなきゃいいじゃん」と言う人もいると思う。もちろん私も思い返すたびに、なんで信用したんだ、と思う。しっかりしろ、そいつは昨日私を「まじキモい」とか言ってせせら笑ってたやつだぞ、と。
でも、多分、私はもう判断力も思考力も根こそぎ奪われ尽くしていて、特に自分に対する「自信」がもう1ミリも残っていなかったのだと思う。なんで自分がいじめられるのか分からなくて、小説や漫画みたいに誰かが声を上げてくれることもないし、ずっとずっと苦しくて痛かった。誰かに助けて欲しかった。声をかけて欲しかった。優しくされたかった。私もみんなみたいに、「普通」の学校生活が送りたかった。
こんなの、弱った心につけ込んだ奴らが悪いに決まってる。お前は一人暮らしの老人の淋しさにつけ込む詐欺か。小学生にしてこの行い、あえて汚い言葉を使わせてもらうが、クソすぎる。さぞかし楽しかったんだろうな、人の期待を踏み躙って笑うのは。あいつちょろいなって思っただろうね。少し突っついたらすぐに困るのを見て、いい見せ物だって楽しんでたんだろう。ふざけるな、クソ野郎。
そうして、彼らの「遊び」は、私の自分に対する自信を喪失させただけでなく、他人に対する信頼も壊した。
どうして信じたりしたんだろう、どうして言っちゃったんだろう。何度も何度も自分を責めた。自分を馬鹿だと何度も何度も思った。
同時に、優しそうな人に出会っても信じるのが怖くなった。この人もああいう風に私の話したことを何でもかんでも触れ回るんだろうな、とか、この人も本当は私を騙すつもりなんだ、と思わなければやってられなかった。
それはネット上でも同じだった。だって、向こうにいるのは同じ「人間」だから。私をいじめたのと同じ「人間」なんて、どうして信じられるんだろう。どうしてみんな、ネットの人をそんなに信用できるんだろうと、いつも不思議だった。
他人を信じられないだけじゃなく、誰かを信じる自分の判断力も信じられなくて、自分のことも他人のことも疑って、疑い疲れて。そうして気づけば、適切なコミュニケーションの取れない私が出来上がっていた。
だから、廣瀬爽彩さんがネットで色んな人と仲良くしていたと知った時、すごくびっくりした。物理的にだけじゃなく、精神的にも完全に引きこもってしまった私と違い、彼女はネットに自分の描いたイラストを上げたり、他人と活発な交流を繰り広げていた。
すごいなぁ、と思った。
あれだけの痛みを受けてなお、あなたは人を繋がろうとしていたんだね。本当にすごい。すごいよ、もう一度人を信じることができて。
私には、とてもじゃないけど、できなかったよ。
この気持ちはきっと「正しくない」。それでも私は、石を投げる人たちを否定できない
このnoteを書いている時に、こんな記事を見かけた。
仮に、もし本当に加害者情報が真実だったとして、いじめ加害者が後々裁かれる事になった場合「社会的制裁を受けている」という理由で罪が軽くなる可能性は非常に高い。特に今回は直接殺害したと認定されていないので、そのリスクは非常に大きいだろう。どう見ても今回の事件のいじめ加害者は更正不可能な将来監禁リンチ殺人犯しそうな予備軍にしか思えない中で、そういう事があってもいいのか?
そんなの嫌だな、と思う。
いじめの被害者であり、そして現在進行形でそこから抜け出せないでいる私にとって、あんな酷いことをした人間がその辺に野放しになることは、どうしても許せない。そんなの嫌だよ、あいつらは出来うる限りの罰を受けるべきだと思う。
だけど、正直なところ、私は加害者を特定しようとしている人を止めようという気がどうしても起こせない。
冷静に考えれば、こちらの記事の言うとおり、「社会的制裁を受けた」ことを理由に奴らが野放しになる方が嫌に決まっている。もしもそんな事態が起こったら、それは本当に、本当に最悪としか言いようがない。
でも、いじめの加害者や学校関係者が特定されて、殴られているのを見ると──こう書くと私がすごく嫌な奴だが、何というか、気持ちがいいのだ。
この加害者たちは、かつて私が何もできずに屈させられた彼らではないと分かっている。私は廣瀬爽彩さんの友達でも家族でもない。事件が起きるまで名前も顔も知らなかった、ただの赤の他人だ。それでも、加害者が叩かれているのを見ると、どうしても、そこに私をいじめた人たちの影を見てしまう。彼らが殴られているようで、自分ができなかったことを誰かにしてもらっているようで、気持ちがいいと感じてしまう。
私は、自分がそう感じることを決して正しいとは思わない。リンクを貼らせて頂いた記事の方のような姿勢こそが、本当は正しいのだろうと思う。記事の中で語られているのはどれも真っ当なことだった。そこに反論したいことなんてひとつもない。本来なら止めるべき行為で、それを止めない私があまりにも自分勝手であるだけだ。
私がいじめを受けたことがない人で、もっと今回の件に冷静になれる人間だったら、「それはいじめの加害者と同じだよ」と、同じように釘をさす側に回ることができていたかのだろうか。あるいは、いじめにあったことを言い訳にするべきではないのかもしれない。いじめを受けたことがあっても、止めることができる人もきっといるから。ということは、単に私の性格の問題なのだろう。
この記事を書いていて、思い出した一節がある。辻村深月さんの「ぼくのメジャースプーン」という本に出てくる台詞だ。
「自分のために犯人がひどい暴力を受けることは、その子だって望まないかもしれない。優しい子だったら、胸を痛めるかもしれない。だけど絶対にやらなきゃいけない。自分のために怒り狂って、誰かが大声を上げて泣いてくれる。必死になって間違ったことをしてくれる誰かがいることを知って欲しい」
「彼によれば、どうしようもなく最低な犯人に馬鹿にされたという事実は、自分のために一生懸命になった人間がいること、自分がそれぐらい誰かにとってのかけがえのない存在であることを思い出すことでしか消せないんだそうです」
これは、私がその「間違ったことを彼女のためにしてあげている」という主張では当然ない。
私が、いじめの加害者や見ていただけの傍観者たちに怒り狂うのは、私が自分がされたことを思い出して、怒りを二乗しているだけに過ぎない。赤の他人に過ぎない、彼女の人生を通りすがることさえなかった私には、廣瀬爽彩さんのために怒る資格も権利もない。
ただ、もしも私だったら、と。もしも私がずるずると生き延びていなくて、いじめられていたことが明るみに出て、記事になって、犯人を特定しようとしている人たちがいたなら。
そしたらきっと、喜んじゃうんだろうなぁ、と思った。お母さんが奴らを殴りに行こうとした時は必死で止めたのに、赤の他人が同じことをしようとしてたら喜んでしまうのだから、私も大概だ。
同時に、廣瀬爽彩さんは喜ばないんだろうなぁ、とも思った。文春オンラインの記事からしかもう私には彼女を知る手段がないのだけれど、廣瀬爽彩さんのお母様が語るのを見る限り、お母様と彼女はとてもよく似ている。善良で、心優しくて、人の気持ちを考えられる人たちだ。
特に、記事中のこの文章からもそれが読み取れるはずだ。
「何があったとしてもイジメをしてもいいという免罪符にはなりません。許されることではないし、とても悔しい気持ちですが、加害者の子たちが不幸になってほしいとは思いません。ただ、イジメって簡単に人が死んでしまうということを知ってほしい。イジメは間接的な他殺です。せめて、反省だけでもしてほしいです」
私は正直かつ端的に言って、かつて私をいじめていた人たちにはとてつもなく不幸になって欲しいと願っている。どうせ反省なんてしないだろうから、だったらせめてこの上なく惨めで不幸に、私の知らないところで勝手に生きて欲しい。
廣瀬爽彩さんも、残されたお母様も、きっと加害者に石を投げるような行為は求めていないのだろう。分かっている。だから、こうして声をあげて加害者を批判したり、誰かが彼らを特定しようとしているのを止めようとは思えない、等と表明するのは私のエゴだ。決して廣瀬爽彩さんのためじゃない。
私は赤の他人で、加害者たちを特定するようなスキルもない。でも、それを止めろとも言わない。自分が大嫌いな傍観者と同じポジションで同じことをしていると分かっていても、彼らが苦しむところが見たい。彼らが社会的制裁と、法律的な罪に問われるところが見たい。
何が「加害者にも未来がある」だ。被害者にも未来は「あった」んだ。以前の夢を叶えて立派な検察官になったかもしれない。あるいは、得意な絵を活かして絵の仕事についたのかもしれない。そしたらいつか彼女の絵を事件を語る記事ではなく、表紙や挿絵、ポスターなどで見かける日が来たのかもしれない。
だけどそんな日は来ない。彼女の未来は「殺された」のだ。「未来のある加害者」に。
あなたが今、どこにいてもいなくても。
以前、人から聞いたことがある。人は死んだら、死んだ時の状態のままが続くのだと。車に轢かれた人はずっと轢かれた時のままだし、首を吊った人は首を吊って息ができなくて苦しいまま。永遠に、もう死ぬこともできないから、本当にずっと、永遠にそのままなんだと。
だから、そうでなければ良いと願う。
あんなに沢山苦しんで、そして私なんかよりよっぽど頑張っていたあなたが、今も冷たくて寒いまま、痛いままだなんて、そんなのはあんまりだから。
どうか今、あなたが寒くも痛くもないところで、私のような騒がしい輩にも邪魔されず、穏やかに幸せに笑っていたら良いと、心から願っています。