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5月のエンタメ総評

ワーイ 手放しで浮かれたい 
どうも、木村です。🥲

大学に入って人と出会うどころか、なんかさよならすることがあった5月でした。その分カルチャー摂取に勤しもうと努力する毎日が続いています。

今回の記事は、そんな私が5月に摂取消化したエンタメ、カルチャーを総評していく試みです。

個人的に、最近好む作品(映画漫画音楽問わず)の趣向は高校生の時と比べてかなり変わったな、という印象。
脱意味(ナンセンス)だったり、楽観に内包された日常世界へのニヒリズムなどの温度感がちょうど良いと思いつつ、色んなフィクションには真剣に向き合っていたい。(それも突き詰めると意味のないことなので)っていう具合。

5月一番最初に観た映画「PERFCT DAYS」は、そんな考えに至る源流にもなった映画です。

東京の公衆トイレ清掃員であり、つましく毎日を生きる主人公の生活を丁寧に描いた作品。どこか他人行儀に世界を眺めることを主軸しながら、ほぼ全てがルーティン化された1日を過ごす彼を取り巻く環境や、人間関係だったりに特別なことはなくて。でも、ただ、やっぱり、そんな中でも変わっていくものはあって、揺さぶられることもあって、。というお話。

(⚪︎×ゲームのくだりとか最高だった)

世知辛い世の中に対して、平穏でゆっくりと流れる毎日に憧れる私たちに対して、ある種の正解を魅せてくれた映画。どんなことにも立ち向かって乗り越えていくのではなくて、ただ受け入れていく生き方。人生オールタイムベストに成りうる作品です。


次に紹介したいのが、アキ・カウリスマキ監督よる「パラダイスの夕暮れ」「真夜中の虹」「マッチ工場の女」の3作品。特に「真夜中の虹」に関してはかなり喰らいました。

これらは、"労働三部作"とも呼ばれ、貧しい労働階級に生きる主人公がそれぞれの決意のもとに展開が広がっていきます。「PERFCT DAYS」が日々の積み重ねを描いたのに対し、変化のない毎日へのアンチテーゼ的な意味を持った作品です。


登場人物の表情は淡白で会話も少ない。ただ根底に流れる静かで独特なユーモアに、どこか愛おしさがあるのがこの監督の作品の特徴。登場人物たちの信頼関係が生まれる過程は、劇的なエピソードが用意されてるわけではなくて最低限の会話のみ。なのに「ここまで尽くすんだ…」みたい関係性が、映画だからこそ成立してるようにも思えるし、リアルにも思える、そんなところが良かったです。

どれもAmazon primeにありますし、80分以下と短めの作品なので是非「真夜中の虹」だけでもいかがでしょうか。


ちょっと映画多めだけど、これだけは触れさせてほしい。滝口竜介監督、「悪は存在しない」。

カンヌとアカデミー、それぞれでかなり評価された「ドライブ・マイ・カー」の監督の作品。

「悪は存在しない」という強すぎるタイトルにどうアンサーを出すのか、腰を据えて臨んだのですが見事に打ちのめされてしまいました。圧倒的な映像美、見事な脚本、前作と同じく石橋英子による音楽、まさに「総合芸術」。まだまだ浅い映画人生ですが、かなりベストに違い映画でした。(言い切るとなんか怖いからね)

色んな語り口があって既にさんざん語られている映画なのですが、ここで触れてみたいのはポスターに書かれた「これは君の話になる」という一文。私は中盤の車内での会話劇を観た瞬間に、「あぁ、これって私たちじゃん…。」と。前作ドライブマイカーでも印象に残る会話劇があったのですが、やっぱりこの監督の魅力はコレなのかもな、、うん。

まだ劇場で上映されてるはずなので、必ず是非。

【その他みた映画】
シンゴジラ・オルソ/Picnic at Hanging Rock
ドライブ・マイ・カー/after sun/ミツバチと私/凶悪/12人の怒れる男

after sun、かなり良かった。ネトフリ来るらしい

あとドラえもん映画もかなり観ました。

雲の王国/アニマル惑星/海底鬼岩城/創世日記 翼の勇者たち/ブリキの王国/恐竜2006
パラレル西遊記/ドラビアンナイト

ブリキの王国が良かった


今年2024は映画の年にするぞ!と意気込んだは良いものの、やっぱり漫画めっちゃ良いな!ってことで最近は「水木しげる大全集」の読破を試みています。5月に読めたのは、ガロに掲載された「鬼太郎夜話」と友人に勧められた「遠野物語」。

幼稚園に通っていた頃はちょうどアニメ5期が放送されていて、当時どハマりしていた私は全身鬼太郎グッズを身につけてたそうです。

鬼太郎夜話より引用


水木漫画といえば、簡単なタッチで愛嬌溢れる登場人物(主に妖怪)たちに対して緻密に描かれた背景が特徴で、本当に現実にいるのかもなぁ、と思わされる見事な画力。壮絶な戦争体験を経た先生の生み出す作品は、どこか世の中へのニヒリズムがあります。代表作「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する、裏主人公ともいえる"ねずみ男"はまさにそれを象徴したキャラクターで、とにかく最高。もうちょっと色んな作品を読んだら、また記事にしてみたい。


続いては新書。、「批評理論入門」廣野由美子 著

こんな文章書いているくらいなんだから何かそういった知識を持ち合わせておきたい、という気持ちから手に取った本。世界的に有名な小説「フランケンシュタイン」を元に、小説の技巧とその効果、そしてそれらがどんな脈絡で批評の対象になっていったか、などが書かれていました。

批評能力を上げたい!という目的に直接関係はなかったのですが、作品を鑑賞する時に持ち合わせる知識としては備えて憂いなし、といった感じです。



色んな作品を摂取していると、なんとなく鑑賞の感覚みたいなものが磨かれているなぁと実感することがたまにあったりします。特に、"リズムに乗る"みたいなものはかなり重要で、以前は「わからない」で済ませていたものも、今なら少しは楽しめるようになっているはず、。

また、映画への鑑賞態度に関していえば「どこまで感情移入するか」なんかは重要な要素だなと思いました。

一つのシーン対する感情の抱き方をニ種類に分けてみます。一つ目は「共感」。これは映画の中で起こっている事と観ている自分の距離がかなり近い時の抱き方。例えば、映画を観て"泣く"という行為なんかは映画に共感している、と言えるはずです。

二つ目の「同感」について考えてみると、登場人物の行動や心情の理解はあるけれど、どこか映画の枠組みの外から観ていて距離が遠いイメージ、あくまでフィクションとして捉えている感じ。

少し逸れますが友人との会話の中で、友人が『「感情を表に出さないから何を考えているかわからない」とよく周りから言われるけど、例えばみんなが泣くような時には、他にも色んな側面から考えてしまうから泣いたりとかはあまりないな』と話していました。

よく"感情が豊か"であるなんて表現が使われますが、友人の話を例にすると果たしてどちらが感情が豊かなんでしょうか。思うに、「共感」の場合、その感情の延長でしか物事を考えられなくなってると思うんですよね。

つまり、一見泣いている人の方が"感情が豊か"に見えるかもしれないけれど、私は実はそんなことはないんじゃない!?と疑ったり。


映画鑑賞の話に戻すと、私は「同感」の態度で映画を観ていたい、一つの感情に縛られて映像の解釈をやめたくない、というところ。

どちらかの態度に優劣をつけたい、とかそういうわけでなくて。

だってまぁ当然共感して号泣したって言い訳ですし。

(例えばこれが「お笑い」になると、一切の思考が排される「笑い」が目的なわけで、そこがお笑いの良さでもあるので。)


最後に少し音楽を。

私は音楽に関してはあまり知り得ないので、音楽の外側を軽く。最近はTwitterなんかで「ちんちんバンド」たる括りが話題ですが、"特定のアーティストを聴いているだけで人間性がカテゴライズされてしまう風潮"が盛んですよね。こういう風潮が当たり前になっていくのも気持ち悪いと思いつつ、大衆に普くバンドがこぞって、「鬱」や「自己憐憫」、「恋愛」といった内容の歌詞に収斂されている現状も気持ち悪い。

そういう意味では、序盤に挙げた「脱意味」的、或いは牧歌的な歌詞はかなり好みです。(これも何かにカテゴライズされてゆくが)加えて、俗に言われるロックからも距離を置いて、テクノ・エレクトロニカが好き。取ってつけた理由すぎるけど、詰まるところYMOと電気グルーヴ、安部勇磨を聴いた5月でした。



ゲッゲッゲッゲッゲッゲ〜♪


こうして見事に記事を書き上げた木村。彼の部屋に住み着くカエルやゴキブリは、そんな木村を称賛するかの如く「ゲゲゲの歌」を鳴り響かせていた———。

ゲッゲッゲッゲッゲッゲ〜🎵



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