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はじめまして。石川県の能登地方 輪島市のヌシヤ株式会社の浦出真由と申します。

石川県能登地方の輪島市にて、私は漆芸家の子として生まれ、
子供の頃は漆を日常に感じ、当たり前にそばにある生活を送っていました。

 海沿いに連なる山々に囲まれ、自然が豊かで新鮮な食物や 地域に根付いた伝統工芸や伝統食が豊富な石川県の能登半島。

その中でも日本を代表ともいわれている伝統工芸の輪島塗。

 輪島市での漆器の生産は古く、 同じ能登の七尾市では6800年前の漆製品、輪島市内では平安時代の遺跡で漆製品が発掘され、 現存する最古の輪島塗は室町時代の大永4年(1524年)作と伝わる石川県輪島市河井町の 重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ)旧本殿の朱塗扉といわれています。

そして江戸時代前期の寛文年間に現在のような輪島塗の技術が確立され、 江戸中期の享保期には加飾の技法である沈金、江戸後期の文政期に蒔絵が始まったと伝えられています。

能登半島北端にある石川県輪島市が北前船などの寄港地であり、 陸路での行商も盛んで、堅牢さが評判の輪島塗が日本各地で使われ、 販路を大きく広げていきました。

 そしてついにその堅牢さや美しいデザインとそれを表現する匠な技法が認められ、昭和52年に全国で初めて国の重要無形文化財として指定されました。

 そんな歴史ある伝統工芸が身近にあるにも関わらず、 実家を離れ、進学・就職のために上京していた私がその良さに気がついたのは、帰省した時に何気なく実家で使った輪島塗のお椀に描かれた金色の絵柄、 その蒔絵の美しさ触れた時でした。

そのお椀を開けた瞬間、水滴で輝く蒔絵に感動し、 そのとき私は輪島塗のファンになりました。

その後また帰省したある日。

地元の同世代の友人たちが20年以上伝統工芸に携わっていることや、 友人たち含め輪島塗業界の人たちが伝統を守り継承しつつ、 新しい価値を追求しモノづくりに挑戦していることを知り、 輪島市の漆器業界の未来が明るく、職人の道を進んだ友人たちが かっこいい!そう思ったのです。

 そんな想いをもつ漆器業界の人たちや職人の方たちの力になりたい。 故郷の伝統工芸のために何かしたい。

そう思い、私は20数年間過ごした東京生活を辞め、 生まれ育った大好きな石川県の能登にある輪島市にUターンする決心をしました。

そして2023年6月15日に起業、ヌシヤ株式会社をつくり、 輪島塗の価値を見直し、それを世界中の多くの人に届けるべく、 「輪島塗」と "新たに生まれる" "生まれ変わる" "復活" という 意味を持つ「reborn」をかけ合わせた[WAJIMANU RE BORN(わじまぬりぼーん)]プロジェクトを スタートしました。

 それから半年後...2024年の能登半島地震で被災し、 ハードルはあがったかもしれませんが、そのプロジェクトの意味合いや想いが さらに強くなり、この時期にこのプロジェクトをスタートさせた意味があったと 感じています。

 私は輪島塗の製造販売の経験も技術もなく職人ではありません。

 伝統工芸をつくり出すことは出来ませんが、

いつか私が感じた感動を。
継承された日本が誇る伝統工芸とその技術を。
それを支えている職人さんのことを。

日本から世界中の多くの人に "伝えていきたい "

と、そう思っています。

 そして、この想いに共感し、応援してくれる人たちと一緒に、 取り組んでいきたいと考えています。