愛を知る男

人が童貞を拗らせる原因の一つに、自分自身の変化に気が付かない、というのがある。

誰でも大人になると、経験から分類を行う。

初対面の誰かの人となりに触れても、どこかで見たことのある誰かに分類し、予想し、疑う。

昔より人生経験が豊富だからである。

ある程度歳を取ると、どんな人と出会ってもだいたい予想どおりか、少し意外か、程度の感想しか抱かなくなってゆくのである。

同じ様に、あなたの同年代の実在の女性も人生経験を重ねているのである。

だからその人があなたを見る目も、昔出会った人より色々予想がついているし、少し疑り深いし、少し計算高くなっているのだ。

思春期に感じた、異性から何が飛び出てくるかわからない、未知の、胸が張り裂けそうなドキドキ、みたいな物はなくなるのである。

つまり、ある年齢で逃した恋と後の人生で出会う恋は、全く別の性質を持つのだ。

恋に先伸ばしや再挑戦は存在せず、胸が張り裂けそうだった時代、期待に胸踊らせた時代、それぞれの瞬間に逃した恋と似た物はもう二度と現れないのである。

しかし、恋愛にあまり積極的でなかった人達は失った事実に気が付かず、同じ物を探し続けてしまう。

理想と実際が遠ざかっているので「拗らせる」という現象が起きる。

これが拗らせるメカニズムである。

そう、恋愛には勇気が必要である。

中学生の時は、ただ緊張に打ち勝って声をかけるだけで良かっただろう。

だが、必要な勇気も年齢によって変化する。

拗らせた人々にとって、自分のパートナーが理想とは少し違っても素晴らしい恋愛になるよう努力する、というのも1つの大切な勇気である。

あなたは、先に答えを決めてから式を探してはいないだろうか?

それは、正しくないのである。

俗に言う、
「とりあえずブスと付き合ってみれば?」
である。

そうなのだ、こじらせた場合の解決方法は単純なのである。
ブスに告白すればいいのだ。

しかしながら、おおよそ、答えは「NO」であろう。
ブスにも選ぶ権利があることを忘れてはならない。

しかしそこが大人の男の見せ所である。
「私だって本当はいやなんだ!痛み分けだ!」
こう食い下がるのだ。
完璧な論理である。正に対等である。


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