〈月刊 墓場に住もう 創刊号〉
私の自宅の前は、墓場である。
人生とは、一日一日の積み重ねだ。
つまるところ、自宅のロケーションは私にとって非常に大切なものである。
関東に越して来る前、私が住んでいたアパートの前には、竹藪と小川とミカン畑が広がっていた。地方では、そういう立地は珍しくない。
しかしながら、ところ狭しと建物がひしめく関東で、開けた場所は少ない。
思いつくのは大通り、公園、パチンコ屋の駐車場、墓場くらいである。
騒音、家賃、景観、大当たり確率等を吟味した結果、毎日私がベランダから見渡す景色は、半ば消去法で墓場となった。
墓場は良い。
まず、墓場を訪れる人はマナーが良い。(その日だけかもしれない)
清掃も行き届いている。
適度に緑があり、情緒もある。
日本人は無宗教と言われるが、それは地理的、歴史的な背景から自覚がないだけで、実は立派に宗教は根付いている。
十字架を飾り毎日讃美歌を歌う老婆と、仏壇を置き毎日焼香し手を合わせる老婆と、どちらが隣に住んでいて欲しいか想像すればわかり易い。
多くの日本人は後者に安心感を覚えるはずだ。それは仏教の倫理観が、日本人に深く根付いている証拠に他ならない。
宗派や宗旨は詳しく知らずとも、墓でどういう振る舞いをするべきか、つまるところ、倫理的に正しい行動は何なのか。
一見、無秩序に見える昨今の日本社会だが、実は皆、正解は知っているのだ。
墓場の隣に住むという事。
それは、常に自分を律する心を忘れないという事。
それは、死者への畏敬の念と共に暮らすという事。
私は今日も、飯を食うにも、糞をひるにも、死者を敬う。
南無阿弥陀仏ブリブリブリブリ
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