色々転換期だった'93~'94。
93年回顧録から94年へと話を進めようと思うなか、自分の脳内記憶整理をするなかで、この頃は色々転換期だったなぁと改めて認識したりです。
そのなかでも、まずファッション。
それまで「ストリートウェア」と一言に称されるなか、アンテナ張って買ってたのが自分の場合、「エアウォーク」や「ステューシー」を始めとしたスケーターブランド(ステューシーはサーフブランドか。。。)がメインだったなぁと。
それが、冒頭画像の雑誌「Fine」によってガラリと変わったのがこの当時。
ダンス仲間のナオキが「これからはポロスポーツだ!ゲスだ!」とワイワイ騒いで手にしてたのがFine。
その時の特集で、確か「DJ KEN-BO」さん達がモデルとして着たりしてたのが、「POLO SPORTS」や「GUESS」のデニム等で、今思うとラッパーの「Zhigge」や俗にいう「ALIVE TV」というダンス映像に出てくる「MOP TOP CREW」といったダンサー達が着てた服装の影響だったんだなぁと。
こういうのとか、
こういうの求めて、画像リンク先の渋谷「エトフ」(90年代後半から原宿に移転して現在に至ると記憶。)や、代官山の八幡通り沿い「NTT渋谷前」の信号近くにあったお店(確かアットファーストとかそんな名前だったはず。。。)とかに通ったりしてたなぁと。
ちなみに、冒頭画像のFineは94年1月号で表紙全体はこんな感じ。
表紙左下の記載にある通り、「ZOO」のメンバー皆さんのインタビューがあり、確かこの頃は「Ding Dong Express」リリース後とかそんな時期でのインタビューだったかと。
そこで「LUKE」さんが、「PHATFARM」とか「Too Black Guys」を推してたとかで、自分は代官山「ネバーランド」とか下北「スパークスビート」とかにも通ったりしてたなぁと。
と、ファッション的な転換期と同時に、ダンスのジャンルも前回記事にしたようにブレイクダンスへと転向していくなかで、自分にとっての重要番組「オールナイトフジ・リターンズ」内の「Yo!! Breakin'」の放映により、いよいよB-BOYとしての第一歩を踏み出したのがこの頃なのですねぇ。
その話はまた次回以降ということで、当記事はこれにて終了!
駄文にお付き合いいただきありがとうございました!