大学進学とダンボール活動休止
話題を96年当時にスポットを当てようとすると、なかなか当時の記憶も曖昧すぎてすっかり投稿速度もガクンと落ちておりました(汗)。
気を取り直して、色々と脳内整理もしつつ。。。とりあえず、この当時の自分にとっての一番の大きな出来事というと、やはりダンボールとしての活動休止とそれに伴う新宿新南口での練習活動の休止だろう。
理由としては、自身の大学進学に伴いクラブ活動に専念したい為という理由なのだが、「並行して活動すればいいんじゃない?」という疑問が浮かぶ人も多いかと思うので、その辺を可能な限りサックリと今回は投稿出来ればと思っております。
まず、自分の大学進学先として96年4月、創価大学へと進学。
同時に「D.I.CREW」として活動をするダンス部に入学。
大学進学理由も、このD.I.CREWに入ってダンスがうまくなりたい!という、いま思うと何とも不純な動機だが、この頃のD.I.CREWは日本のダンス界においても、有名な存在であったと思う。
というのも、「DANCE DELIGHT」というコンテストが94年から始まり、94年、95年と優勝をかっさらっていったのが、このD.I.CREW所属のメンバーで結成されたチームだったからである。
しかも、優勝以外にも上位タイトルをこのD.I.CREWからのチームが獲得しており、加えて原宿RSCスクールで教えてくれていた、RSCジャパンのメンバーの方にもD.I.CREW出身の方々がおり、こうした影響から自分も大学進学へと道を決めたのであった。
こう記すと、わざわざ大学進学に向けて受験したのかと思うかもだが、そもそも中学・高校も創価だった自分は、推薦でわりとすんなり進学したのも書いておこう(笑)。
とはいえ、自分の進路としてはダンボールで活動するなかで、ダンサーとしてやっていきたいという気持ちが膨らんでいたのは事実で、95年頃の進路相談では、推薦で大学進学にするか卒業してダンサーとして、バイト生活をしながらでもダンボールとしてやっていくのか、その辺はあれこれ家族ともちょいちょい話し合ったりなんやと、この当時なりに悩んでいたのも懐かしい。
で、無事進学をしていざD.I.CREWに入部したのだが、ここで大きなカルチャーショックを受けることになる。
なんと!この部活はガチな体育会系でとにかくあれこれ規則が厳しいのであった(笑)。
そのなかに「練習時間の遅刻・欠席は厳禁。あったとしても、必ず連絡をすること。」そして、「部活としての活動を優先。それ以外の習い事等は必ず部長に相談をして許可を得る事。」と、いま思うととんでもないプロパガンダ発言を入部希望の我々に先輩にあたる学年の人たちから通告され、それが嫌なら活動しなくてもいいといった、これまた今思うとなんという横柄なスタンスなんや!!という言い渡しがされたのであった(笑)。
いま現在も、大学にはD.I.CREWとして活動している現役学生がいるが、ちょっとした機会もあり、活動状況を聞くといまはこのようなよく分からない厳しい戒律もないようで、ちょっと安心しました(笑)。
話が飛んだので戻してと、、、そんな厳しい通告がされたなか、自分でもあれこれ悩んだが、やはりダンスはうまくなりたい!
この気持ちが強かったのもあり、苦渋の決断として初夏の季節5月頃だろうか、メンバーに「ダンボールとしての活動を休止して、D.I.CREWとしての活動に専念します。」と、新宿新南口の練習場所で皆に告げたのであった。
ちょっとした補足で、この頃のダンサーとしてのチームやクルー活動としては、複数団体での掛け持ちは禁止が暗黙の了解だったのもあり、こうしたケジメを付けなければいけない。そんな思いがやはり自分もあったので、ダンボールのみんなに告げるときは、それなりに緊張と覚悟があったのも記憶している。
で、そんな言葉をすんなり受け入れてくれたみんなの優しさは、今もって感謝である。
こうして、自身はダンボールからD.I.CREWとして活動に専念をした大学生活が始まるのだが、今回はここまで。
この頃の記憶にあるのは、移動中にミックステープで流れてたこの曲に、移動中のあれこれと若いなりに考えたり、葛藤してた気持ちをリラックスさせてたなぁと。
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