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原宿RSCジャパン門下生デビュー

自分のダンススタイルをブレイキンと定め、「ジャングルオールスターズ」の「マッチャンさん」スクールに通いはじめて数か月。

当時原宿にあった「ROCK STEADY CREW JAPAN」のスクールにチェンジして通いはじめたのが、自分の人生にとってもひとつの大きな分岐点でした。

チェンジしたきっかけは、前回記事でふれたマッチャンさんスクールで仲良くなった、「櫻井さん」という年上のスクール生だった人で、住んでいる場所も近所で帰宅時の電車も一緒。
あれこれ電車で会話するなかで、RSC(ROCK STEAD CREWの略です)ジャパンのスクールにも通っているとのこと。

その会話の流れに「CHINOさん」なるキーワードが出てきて、「え?あのちゃんねるずのチノさんが教えてるんですか?」と自分は問いかけて、そうだとの答えから一気にテンションMAXでした(笑)。

前回記事では、R-Schoolのメンバーをどのチームの誰々と書きましたが、実はこの頃リアルタイムにメンバーがどの人たちで結成されていたのか、自分は知らなかったんですねぇ。

テレビで「Yo! Breakin'」はチェックしつつも、雑誌Fineの情報はダンス仲間のナオキが持っていたものをチラ見させてもらったり。
自分であれこれ正確に認知していくのは、その後の練習仲間や先輩後輩との雑談やら情報交換やらをするなかで、知識として吸収されていった訳です。こうした後追いで色々な事実を知るというのも、90年代の情報キャッチあるあるなのでは?なんて思ったり。

さておき、そんな訳で習い先をRSCジャパンにチェンジした初日、櫻井さんと原宿で待合せをして一緒に連れて行ってもらった先で、チノさんご本人と生で対面した時は、内心でめちゃくちゃはしゃいでました(笑)。
初期衝動のきっかけとなる人物や物事に、リアルに直面する感激・刺激はいつになっても鮮明に心に残りますねぇ☆

RSCジャパンでのスクール通いから、今もって所属するマイクルー「DANBALL(ダンボール)」の結成や自分の今後の進路と、いろんな出来事がありますがそれはまた別途。

ここからは、少し当時の時代背景的な考察も少し綴ってみようかと。

まず、スクールとして通った原宿のRSCジャパン、ここは昼間はアパレルショップとして、オリジナルTシャツやデットストックのスニーカーなどが売られておりました。
後々に短期でバイトとして働かせてもらったりもして、何とも懐かしい☆
そして、プロケッズのデットストックや、Leeのタンクトップなど、今現在も売ってたなら迷わず買ってたオールドスクール・ギアがあったのですが、当時の自分にはまだそこのアンテナが疎かった(笑)。

でもって、R-Schoolの結成やRSCジャパンの結成といったオールドスクール・シーンの再燃。
それらが本家RSC N.Yの復活タイミングからの流れとリンクしてたのが、後年のチノさんのインタビューで判り、自分が93年にテレビで観たアニバーサリーの映像からの影響や、自分のダンスジャンルの定めどころが初期衝動のホーシングやニュージャック・スウィングから、ブレイキンに結び付いたいったことに、僭越ながら自分がヒップホップに魅かれていったのは、一過性の出来事ではなく運命なんだなとか思ったりです。

と、可能な限りさっくり綴っていきたいところが、今回も少し長文となってしまいました。
最後まで読んでくださった方に今回も感謝です!

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