能見さんとの出会い
1993年を振り返るなか、これもまた自分にとって重要ポイントだと思う出来事を思い出したので、スポット当てて書いてみたいなと。
1993年秋~冬時期、自分のダンス仲間でも様々な情報吸収をするなかで、それぞれがやりたいと思うスタイルの分岐点になったタイミングが、ちょうどこの頃でした。
自分らの間ではナオキ(a.k.a. K諸君)と呼んでた仲間は、当時「オヤジ&ジェントルマン」として活動していた「イマエダ」さんのスクールに。
で、もう一人モッチー(a.k.a. M永君)という仲間は、当時「ROOTS」として活動していた「KANGO」さんスクールへと通い始めたりと。
確か、どちらも新宿御苑の「スタジオ門」てところでやってたのを、前述したナオキが雑誌「Fine」に載ってたスクール情報を発見してといった経緯だったかと。
で、この時のスクール情報としてピックアップされてたダンサーの方々が、オヤジェンとROOTSのメンバーだった方々と記憶しております。
※この辺の記憶がちょっと曖昧。。。
そんな流れのなか、自分は別記事でもちらほら触れましたが、ちゃんねるずの「CHINO」さん、ZOOの「NAOYA」さん「LUKE」さん、「SLAM-G」といった方々のスタイルに魅かれてたところからの、自分のハマりどころが見出せず、恐らくFineの別記事などでNAOYAさんの踊りのルーツが「ブレイクダンス」だというキーワードを目にして、まずはブレイクダンスを始めてみようと思ったのも、この辺のタイミングだったのかと。
※ここも少し記憶が曖昧。。。(苦笑)
そこから、ブレイクダンスを教えてくれる人はいないのかと、もう一人の仲間のミツノブとあれこれ探し回るなかで、彼の一番身近で地元に「D.I.CREW」を立ち上げた「能見さん」なる人物がいる!!となり、何とか教えてもらえないもんかと、厚かましくて怒られるかドキドキでしたがミツノブ経由でお願いしまして、、、OK!!
承諾を頂き、教えて頂くことになった場所が冒頭の神宮外苑の絵画館前だったのですねぇ。
冒頭にも書いたように、秋・冬頃といった季節での神宮外苑といったストリートロケーション。
今思うと、現在も道端で踊りはじめてそれが楽しく感じてしまうのは、こうした背景から、自分の原点回帰になっているのを何となく本能的に感じているからなのかなぁと。
さて、話が少し反れましたが、そんな外苑でのレッスン。
能見さんのスタイルは「ブレイクダンス」といいつつも、立踊り側の「POPPING」が主となるので、この当時は「POPPING」を教えて頂き、それを一生懸命練習してました。
教わるなかで、確かにNAOYAさんがCLUB DADAやZOOのビデオの節々で、POPを弾く場面場面があったなと気づきもあり、ジワジワとハマりどころを見つけ出せてる感覚・それを身につけようとして、ワクワクと夢中だった自分はいまもしっかり覚えてますねぇ☆
季節的に寒い時期だったので、練習終えて暖かい缶コーヒーをサラっと奢ってくれる能見さんに、やさしい先輩の姿みたいなものも立ち振る舞いで学ばせて貰った次第です。
その合間で会話してた内容に、能見さんが自分でスタジオ開くのが夢で、今はその為にお金貯めてるといった主旨の話をしてくれて、その数年後には「Brand-New Dance Market」というスタジオ・レッスンを開設し、現在は更に活動範囲を広げて、「Kansui Nohmi Dance Troupe(寒水・能見ダンストゥループ)」を設立して活動している姿に、夢を実現して活動し続けているスタンスはやっぱかっこいいなと思います。(すごく単純な言い回しで本当にすみません。。。)
さて、少し話を当時に戻すと、能見さんがブレイクダンスのなかでもPOPを踊るきっかけになったのが、映画「ブレイクダンス」に出てくる「Boogaloo Shrimp」に憧れてと話してくれながら、映画と「オールナイトフジ」にプロモーションだかで出演して踊ってた時のVHSを貸してくれたのも、何とも懐かしい記憶です。
映画のオープニング!
個人的に映画のなかでオープニングのこの雰囲気が今でも好きだったりします♪
こうして観なおすと、Adidas、PUMAもいいけどNIKEもカッコイイなんて、ちょっとした再認識もできますね☆
さてさて、出来る限りさっくりした記事を心掛けて書きましたが、つい深くいってしまいそうなキーワードも大分出てきはじめました。(笑)
その辺を一気に書こうとするとまた、取っ散らかりそうなので当記事はこれまで!
能見さんとはその後もまた、自分自身が「D.I.CREW」として所属するなかでまたお世話になったりする訳で、深い縁を勝手に感じている次第です(笑)
能見さん、ありがとうございました!